2011年7月22日金曜日

Deadhead heaven:コステロさんも天国


Dead.net からお知らせが来て、今週末、コネチカット州ブリッジポートの海岸で、"Gathering of the Vibes"という festival があるという。
出演はFurthur,Elvis Costello,Tedeschi Trucks band,Levon Helm などなど。



ヒストリーを読んでみると、ことの成り立ちは96年、ジェリーがいなくなったあと、Deadhead たちが集まれるコンサートを、という企画から始まったとある。なるほど。最初の年のタイトルは "Deadhead Heaven"。
いいなあ。とってもストレートで。

その Furthur に、Elvis Costello が、ゲスト参加した今年3月の NY のショーをゲットした。

Tennessee Jed / Friend Of The Devil / Ship of Fools / It Must Have Been The Roses / Ship of Fools /

これをずっとコステロが歌っている。もうたまりません。
コステロさんは、Deadhead circle にうまく収まってますねえ。とても喜ばしいことです。

2011年7月20日水曜日

I wanna marry you:単独の希望


月曜日の朝、W杯の決勝とコパ・アメリカのブラジル戦(準々決勝)を、チャンネルを切りかえながら見ていた。どっちもPK戦で、日本が勝ち、ブラジルが負けた。
そのあと、テレビはなでしこで大騒ぎしていたが、ブラジル敗退のニュースはなかった。コパ・アメリカはアルゼンチンとブラジルがいなくなり、優勝はウルグアイ? パラグアイ? 
あそこに男子日本代表がいたら、セミファイナルあたりまで楽しめたかもしれないと思う。残念だが、仕方ない。

「Hope Solo.君と結婚したいよ」、というゲーフラを、フランクフルトの客席で見つけた。Hope Solo は、アメリカ代表キーパー。
Soloというのは、ヒスパニック系の名字なんだろうか? 顔立ちもよく見るとそんな感じがしないでもない。

英語版wikipedia を見てみる。どうやらイタリア系のようだ。父親はブロンクス育ちで、"a sometimes-homeless Vietnam War veteran"とある。
「ときどきホームレスのベトナム戦争退役軍人」? 彼女が6歳の時に離婚している。

女子サッカーはアメリカの国技のようなものと、新聞にあったが、なぜかアフリカンや、ネイティヴ系はいないのだな? 良家の子女のスポーツ、みたいな感じだ。

2011年7月17日日曜日

NTP3:おとな部門ふたたび


被災地の人たちが、Tシャツを必要としているのはこの時期だけだということは少し考えてみればわかるはずのことで、金銭的な余裕があるわけでもないNTP(夏の楽園Tシャツプロジェクト)においては、プロジェクト3は、もう少し先にと考えていたのであるが、やるなら今しかないと、3を決行する。

今回はおとなTシャツ部門だ。
いろいろ探してみたが、結局前回送った石巻市の被災地域からそんなに離れていない、やはり海岸地区の公民館に送ることにした。

大人用Tシャツ54枚。男性用、女性用に分けて送った(50枚はTシャツショップで買った。4枚は「夏の楽園」のもの)。
どこの家もまだ風呂に入れないようなので、Tシャツの着替えはたくさんいるのだろう。少しでも快適な夏を過ごしてもらえれば、と願う。

<余計な言葉は無くていい。>

必要なのは、必要とされている物資を、必要とされている場所へ送ることである。

2011年7月12日火曜日

2 spins:わたしたちが孤児だったころ


本のスピンについては、以前に書いた。あらためて調べてみると、こいつは、ほとんど日本にしかなくて、和製英語で、しかもどんな綴りなのか、わかっていないという(Wikipediaより)。

2本のスピンが付いた本を見つけた。というか、たまたま借りた本にスピンが2本付いていたのだが。伊坂幸太郎の「バイバイ、ブラックバード」という本だ。
イサカの本はときどき読む。これは連作短編集。設定がおもしろいのであっという間に読める。この人は長編向きだと思う。饒舌な文体でおもしろさが出てくる。以前に短編集(連作じゃない)を読んだことがあるが、ぜんぜんおもしろくなかった。


この本になぜスピンが2本なのか、わからない。その必然性については、わからない。2本あるというのは、それはそれで結構じゃまだったりする。スピンは1本でじゅうぶんである。
この連作集は「ゆうびん小説」として企画された、とあとがきにあるから、なにか変わったデザインを考えようとした、デザイナーの勇み足なのかもしれないとも思える。

同じときにカズオ・イシグロの「わたしたちが孤児だったころ」を借りた。イシグロを読むのははじめて。以前に挑戦したときは、途中で挫折した。前半の格調の高さが、後半にはだんだん無くなって、めくるめき展開に。
ハイテンションで、前半0-0に終わったゲームが、後半になるといきなりオープンな撃ち合いになって、2-3でアウェイチームの勝利! みたいな展開です。

2011年7月11日月曜日

NTP2:夏の楽園Tシャツプロジェクトこども部門


限りなく「お荷物」に近かった夏の楽園のTシャツを、被災地に送ったあと、われわれの行動は在庫一掃だけではないという意思表示も必要と思い、新品のTシャツを送ることにした。
夏の楽園Tシャツプロジェクト(仮称)と名付けられた支援活動は、次なる「こどもTシャツ部門」へと発展する。

われわれ(ぼくと元パラダイス・エイトのひとり)は、ネットで新品のこども用Tシャツを買いつけ、前回の「おとなTシャツ部門」の送り先と同じところに送った。
被災者の情報は、流さないでくれという「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の要請があるので、詳しいことは書けないが、石巻市の海岸に近い被災者宅150世帯のまとめ役のところに、Tシャツが届くはずだ。



余計な言葉は無くていい。<復興の狼煙プロジェクト>

だから、次の展開を考える。次は、おとなTシャツ部門2L,3Lサイズはどうかなと考えているところ。岩手県大槌町へ。

2011年7月10日日曜日

Anti-nuclear:いま菅を支持する


原発は遠い世界の話だった。
ずいぶん過去のことだが、デモや、反原発コンサートに参加したことはある。でも、やっぱり自分とは、どこか距離があった。

反原発を身近に引き付けて考えようとすると、薪ストーブとノーエアコンにたどり着いた。太陽熱温水器もまあ、その仲間か。
ずっとそうしてきた。ずっと使ってきた(エアコンは使ってこなかった)。

だけどいま考えなければいけないことは、いまどうすべきかだ。
「節電」なんて当たり前のことを、いま、ことさらに言うことの方がおかしいと思う。節電しなきゃ日本人じゃないぞ、みたいなことの方がおかしいと思う。
それは政治の世界のことかもしれない。

東電から献金を受けていない国会議員は、菅と小泉だけだ、と矢作俊彦のtwitterに書いてあった。「彼ひとりができるかもしれないのだ。だから菅を支持する」。
you tubeで見た宮崎駿のメッセージ(「自然エネルギー法案をぜひ通してください、菅さん」)にも重みはあった。
原発の現況に関しては、あまりに不勉強だし、政界のこともさっぱりわからないので、菅を支持することが、正しい!とは大声で言いにくい。

「余計な言葉は無くていい。」という<復興の狼煙プロジェクト>のポスターを見ていると、「余計なことは言わなくていい」んだと思う。
(このポスタープロジェクトは、検索すればすぐに出てきます。教えてくれたH様ありがとう)
だけど、言わなければいけないことは、大きな声を出して言う必要があると、矢作さんや宮崎さんは言うのである。ポイントはそこだ。

エアコンは去年の秋に、ついに取りつけた。室温が夜でも30度以上という去年の酷暑に耐えきれなくなったからだ。ぼくたちも生きていかなくちゃならない。熱中症で死にたくはない。

2011年7月4日月曜日

With a little help:「夏の楽園」Tシャツ、被災地へ

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」というサイトを通じて、宮城県石巻市の被災者に「夏の楽園」Tシャツを185枚、送った。
1週間前、ふと思いついてTシャツの数を数えてみた。87年から99年分まで、全部で255枚あった。
ネットで調べてみると、Tシャツを希望している被災地の人たちがかなりいることがわかった。
「夏の楽園」Tシャツは、我が家の廊下で眠っているより、これから暑くなるであろう東北の人たちに着てもらった方が、よい。
むずかしいことはあまり考えず、被災した人たちに直接届くような形がいいような気がした。
Tシャツは、袋に1枚ずつ折りたたんで入っている。それにチラシも入っている。チラシはTシャツを買ってくれた人へのメッセージなのだが、被災した人たちには、チラシは意味のないことなので、袋から抜いた。

そんな作業をしていると、いままで文字通り「お荷物」だったTシャツ君が、にわかに親密なものとして目の前に拡がる。そして、袋詰めやら何やら、いろいろ一緒にやってくれた仲間たちの顔も浮かんでくる。もう何年も会っていない。彼らにひさびさに手紙を書いた。

「ぼくたち」にとって、フリーコンサートと、Tシャツはいつもセットだった。フリーコンサートのことを考えることは、イコールTシャツのことを考えることだった。
3.11以降、ぼくは何もアクションをしてこなかった。
でも、Tシャツにこだわって、これからアクションを起こすのも、自分らしくていいかも、と考えることにした。

Tシャツはまだ少し残っているので、次なる手を考えることにする。



<今日着ているシャツは98年。もうずいぶん生地が薄くなった。もちろん被災地に送ったのは、一度も袖を通していない新品です、念のため>