2011年12月5日月曜日

The rain, the park and other things:短編小説みたいだな

夜中に起きていることはできないので、深夜1時から4時までのラジオ番組は録音して聞くことになるのだが、朝4時半ころに起きて、ストーブの準備をしながら、その番組("Big special")を聞いていたら、カウシルズの「雨に消えた初恋」が流れてきた。

今週の Big special のテーマはアルバムヒット特集ということで、監修の萩原健太がいろんな切り口でアルバムを紹介しているのだが、この日は本人登場のリクエスト特集ということになっていた。

アルバムヒットで面白いなと思ったは、各年代のミリオンセラーアルバムの紹介だった。60年代前半のアメリカでのミリオンセラーアルバムはほとんど映画のサントラである。「ウェストサイド物語」や「Sound of music」や「Hello, Dolly! 」など。

ヴィデオがない時代のことである。映画を追体験しようと思えば、サントラを買うしかない時代だったわけである。だから、名場面のセリフ入りだ。
ビートルズ登場以前、ロックのアルバムが売れるのはずっと後だ。

サントラを買っていた層を考えてみると、アメリカ地方都市の中産階級のオジサンが、仕事帰りにレコードショップで、この前の日曜日、家族で見た映画のサントラを買って帰る、という光景が浮かんでくる。
ティーンエイジャーのこどもたちは、ラジオから流れてくるポップスに夢中だけど、それはシングルレコードのマーケットなわけだ。

で、「The rain, the park and other things」だ。「雨と公園、その他のこと」、なんだこれは。でも、歌詞を読んでみると、確かにそんな歌なのだ。ぼくは公園で見かけた少女に恋をしたのに、雨がやんだら少女は消えていて、あとには花が咲き乱れていた、みたいな世界です。
ふーん、なるほど。
小学生のころから、梅雨のころになると、毎年1回は必ずラジオで聴いてきた曲だけど、こんなタイトルだとは、つい昨日まで知らなかった。
毎日、勉強になります。

2011年11月29日火曜日

Usu & Kine:臼を割る

臼が薪棚のそばにどんと鎮座している。かなりの確率で動きのじゃまをしている。炭と同じときに引き取ったものだ。
どうしようか考えていた。餅つきをしようにも、人手はない。米を蒸す釜もない。
いろいろ調べてみると、臼はどうやらけやきを使うのが、普通らしい。何年も寝かしたけやきを彫りこんで、臼にする。杵もそうらしい。
けやきなら薪になる。考えられるのはそれだけ。

臼を割るなんて、おそれおおいが、粗大ゴミに出すよりはいいのではと考える。チェーンソウで小割にしても、くさびや斧ではなかなか割れない。
完璧な曲線を残しておこうかとも思ったが、やっぱり薪にすることにした。
割ってみて気がついたが、これはけやきではない。でも、何の木かはわからない。残念ながら。


2011年11月28日月曜日

Catalog house:下を向いて歩こう



カタログハウスという会社の企業理念である。
震災後の日本で「上を向いて歩こう」は、ある種シンボリックな歌として、受けとられていたと思う。
でも、下を向いて、だ。

高橋源一郎が、カタログハウスの「通販生活」を新聞で取り上げていた。表紙に「一日も早く原発国民投票を」と書いてあるカタログ誌だ。
何年も前からときどき家に届くこのカタログ誌を、ほとんど読んだことはない。自慢することではないのだが、たかがカタログだと思ってた。たかが広告じゃないか。
去年だか、一昨年だか、憲法九条についての、小冊子が付録に付いていて、それはちゃんと読もうとした記憶があるけれど、まあ、だから、どうか、ということでもなかった。

その「原発投票号」をよく読んでみると、カタログ以外はほとんど原発関連のあれこれいろいろの記事で埋まっている。
会社としてのメッセージはないのかと探してみたが、編集後記のようなものが特になかったので、オフィシャルサイトを見てみた。企業理念、というところの最初に、「下を向いて歩こう」と書いてある。
いいじゃないか。とても。

2011年11月16日水曜日

Saturday in the park:公衆電話の秋



公園の木々に紛れてもう誰も電話かけない公衆電話 / 宮田 修

今週の朝日歌壇にあった。以前にも公衆電話の歌を取り上げたことがあるけど、こっちはちょっともの悲しい雰囲気だね。

先週の朝日新聞の土曜日版の「サザエさんを探して」にも、電話ボックスが出ていた。62年当時、電話ボックスの屋根は赤かった。「丹頂式」というらしい。

ぼくらがこどものころ、公衆電話は赤だった。10円玉専用。
赤が、黄色や緑に変わったのは、大人になってからか。ずいぶん世話になったけど、いまはやっぱり使わない。80代半ばになる、うちの父だって、携帯を持ち歩いている時代だ。そりゃしかたない。

2011年11月15日火曜日

One-hit wonder:「西暦2525年」


というタイトルを見て、歌い出しのメロディが浮かんでくるあなたは、50代の人か。

FMネットワークの深夜番組、Big special の、先週のテーマは「一発屋の瞬間芸」。レコード会社のディレクターだという人が、構成していた。50年代、60年代半ばくらいまでは、なじみがさっぱりないが、60年代後半から70年代にかけては、よく知っている曲が、どんどん流れてくる。

監修をしている宮地さんという人は、ぼくより少し上の世代のようだ。ゼーガー&エヴァンスの「西暦2525年」は、一発屋最高のヒットという紹介だったが、ダニー・オキーフや、フリー、ジャニス・ジョプリンをそういうカテゴリーに入れることもできるのだといわれると、そうかなと思うしかない。(今回の定義はチャートの20位以内に上がったのが、1回だけのアーティストが対象)

ニック・ロウとか、Dr.ジョンも、まあ、そういう範疇なんだ。ほー、ヒット曲があったのね? と逆に感心したりして。

2011年11月12日土曜日

Big special:ひさびさの健太節満喫。

NHK-FM以外に聴取に耐えるラジオ局はないと信じていたのに、ある日、新聞のラジオ番組欄で、"Big special"「ルーツロック大全集」という見出しを見つける。
FM岐阜の深夜1時から4時まで。思いっきりはずしている可能性も充分ある。はて。録音するかどうか少し迷った。

迷って次の晩、録音して聞いてみた。その日は、カントリーロックの特集で、監修萩原健太! いやー、ひさしぶりにその名をラジオで聞いたぞ。
翌11月3日深夜は、健太氏本人が登場だ。「準レギュラー」とみずから名乗る。
ほー、こんな番組、あったんだ。FMネットワークの製作なので、全国のFMで流れているらしい。
さすが、健太氏選曲は、いい。

番組の official site は、あるけれど、なんにも書いてなくて、萩原氏の追っかけみたいな人が作っているブログにセットリストがあった。

名前は知っているけど、ちゃんと聞いたことのないバンドやシンガーの曲がずんずんかかる。おお、うう。

Amazing rhythm aces や、Doug Sahm は、こんなにかっこよかったか!



(写っているクルマにも、ベンチにも特に意味はありません。が、ここはぼくにとって特別な場所。ナイショネ)

2011年11月11日金曜日

Sideline:炭俵12俵をどうする?



本業の合間に副業をこなし、だんだん両方が重なってきて、どっちが本業だか、わからなくなってきた。

自治会の法人化申請を頼まれて、あれこれ忙しくしているときに、剪定と不要品の引き取りを頼まれた。下見に行くと、ご主人が亡くなって、庭木は伸び放題、物置にはいらないものがいっぱい。
剪定は、たいしたことなく1日もかからなかったが、不要品は軽トラックにめいっぱい2杯分くらい。

亡くなったご主人が残したものは、木のはしご、アルミの脚立、寸角や板などの材料、臼、杵、スコップやツルハシなどの道具、それに炭の俵が12俵。
建築関係の仕事をしていた人なんだろうなと思いつつ、トラックに積みこむ。

古いポンプや焼却炉なんてのもあったけれど、問題は炭だ。包んであった段ボールやビニールを取り去ると、縄とワラで編んだ俵が出てきた。荷札に日付が書いてあるのだが、古くて読めない。年号のところは「40」のように見える。昭和40年? 飛騨高山のナラの炭だと書いてある。「70」に見えなくもないが、どっちにしても、昭和ですよ。
茶碗を包んであった新聞の日付を見てみると、昭和34年とか、44年とか。炭が昭和40年もありうるね。

炭そのものに問題はなさそうだが。湿気を含んでいたり、においを含んでいたりするので、古い炭を燃やすのは要注意と、ネットには書いてあったけど。ストーブで燃やす分には問題ない?

ダメなら庭に撒くか? それにしても量が…

2011年11月3日木曜日

Radio people:「さらば夏の日」の「ダニエル」


ついに聴取に堪えうるラジオ番組はNHK-FMだけになってしまった腹いせに、手当たり次第に録音することにした(なんのこっちゃ)。
この前は斉藤和義の新しいアルバム「45 stones」を聞いたし、Nigel North のリュートはなかなかすばらしいということがわかったし、人の名前がついた洋楽ヒット曲の特集、なんてのもBGMとしては悪くなかったし、軽はずみにAMまで手を伸ばして、「さらば夏の日」をもう何十年ぶりかに聞いたのに、それはサウンドトラックじゃなくてがっかりしたので、ずいぶんお久しぶりの小林克也氏の特番「とことんNo.2を考えてみたら」で、エルトン・ジョンの「ダニエル」を10年ぶりくらいに聞いて、暗い青春時代を思い出してみたりしていた。

その、暗い暗黒時代のような高校生のころ、ご多分に漏れずエアチェック小僧で、あのころは、当然カセットの時代だから、なんでもかんでもカセットに放りこんで、レポート用紙に曲目表を作って、きちんと管理していた。そういうことはまめだった。

まだFM番組雑誌が出るちょっと前で、確か、FM愛知が発行していた新聞のような番組表(NHKも載っていた)を毎週送ってもらって、それを1週間分、こまめにチェックして、マーキングして、どの番組を、どのテープに収めるか、なんて予定まで立てたりして。


2011年11月1日火曜日

Empate a cuatro:雨中の激闘、4-4


10月30日、FC岐阜のホームゲームは、現在2位の鳥栖を迎えて、最下位の意地を見せられるかどうか、という戦前の予想を簡単に裏切って、4-4という、手に汗握るシーソーゲームとなったが、サポーターなんですと、口が裂けても言えないような酷薄な知らんぷりサポのわれらふたりは、家でスカパー!を見ていた。

なんでこんな攻撃サッカーを展開しているすばらしいチームがずっと最下位なのか、われらにはわからぬ。わからぬが、現実というものは、否応なしに、われらのチームの現状をあぶり出す。
やっぱりDFが、ダメ? 豊田陽平君に3点もやられた。だけど、あいつは元グランパスの意地がある。早く昇格して、グランパスと戦ってくれたまえ。

言っていることが支離滅裂か? そうかな? そうだな。そうとも言える。
何がダメだ? 選手がいない? 選手層が薄い? 金がない?
そうだな。そうとも言える。

悪いのはもちろんわれらだ。土砂降りの雨の中、彼らはスタジアムにいるのに、われらは家でスカパー!を見ている。

Radio espanol:ラジオのサッカー中継


スペインのラジオについては、「Footballista」の巻頭コラムにあった(10/26日号)。

スペインではラジオでサッカー中継をしているようだ。
国民の約6割が毎日ラジオを聞いているという。
スペインでのラジオの印象は、テレビよりも「信頼が置け」「客観的で」「バラエティに富み」「面白く」「下品でない」という。
(以上編集長木村さんのコラムより)

スペインのラジオでいま何が問題になっているかというと、プロリーグ協会が、ラジオ局に放送権料を払え、といいだして、そんなの払えない、というラジオ局と対立しているらしい。
映像は使わないので、ラジオ局はこれまで80年間以上、そんなものを払ったことがないということだ。

ラジオは中継席から締め出しを食ってどうしたかというと、金を払って客席から中継したり、テレビ放映を見ながら中継したり、だそうだ。

日本のラジオはどうだ?
プロ野球の中継をやっているのは、球団の親会社の資本が入ったラジオ局で、解説者はチームOBだ。内部事情には詳しいかもしれないが、面白くない。
日本でも、サッカーのラジオ中継があってもいいような気がするけど。ゴールシーンはあとで、ダイジェストで見ればいいじゃないか。

2011年10月22日土曜日

innocent radio:ラジオを持って飛行機に乗る時代のこと



スカパー!でやっていた「American graffiti」を見る。
時代設定は1962年。製作は1973年。実に10年ちょっとしか経過していない。映画が封切られてから40年近い時間が流れていることの方がオドロキだ。初めて見たとき(封切りのときにはたぶん見ていないが)、流れてくるロックンロールの名曲が、ずいぶん古くさいものに感じられたのは、いま思えばそれはそれで不思議な感じがする。

1962年は、ボブ・ディランとビートルズがレコードデビューをした年だ。世界はまだディランもジョンも知らなかったわけだ。
アメリカ合衆国の大統領は、JFKで、まだ生きていた。この年の10月にはキューバ危機があって、世界は命拾いをしている。
その時代を、イノセントエイジと呼ぶ人もいるのかもしれない。

全編にカーラジオから流れる音楽があふれ、主人公はラジオ局に出向いてDJに会い、東部の大学へ行くために飛行機に乗るときには、ポータブルラジオを手に持っている。
ラジオがまだ生活の中にちゃんと生きていた時代だ。

合衆国では、いまでももちろんラジオは大事なメディアかもしれない。各地にラジオ局が無数に存在するし、衛星ラジオもある。
ドイツやスペインでもラジオの聴取者はいまも、かなりの数になるという(たぶん無料で見ることができるテレビのチャンネルが日本よりうんと少ないという事情もあると思う)。
ラジオが、日本ではもう忘れられかけたメディアであることは間違いない。

ラジオにとってイノセントな時代だった、という映画かもしれないね、これは。

(押し入れの奥を探してみると、封切り当時のパンフレットが出てきた。カミサンの所持品だったのかなあ?)

2011年10月19日水曜日

He likes Eric:直志のスーパーゴール


10月15日の、グランパスとガンバの直接対決は、両チーム7番の対決でもあったのかもしれない。
ともに中盤で、マッチアップも多い。直志は遠藤を押さえこんだのか、あるいは遠藤が代表疲れで、いまいちだったのか、よくわからないけれど、結果は、直志の2ゴールだ。
特に2点目は、直志が遠藤からボールを奪って、そのままミドルを決めるという、スーパーなゴールだった。チームにとっても、3点目で、流れを決定づけたと言えるのかもしれない。

比較は意味のないことだろうけど、片やヤット君は、今の代表では、替えのきかない唯一の選手といわれ、キャップ数はとうに100を超えている。一方の直志君は、代表1キャップのみ。グランパスの生え抜きではあるが、評価は低い。

直志のゴールの瞬間、われらの足踏みの音は、ダイアナを驚かし、ルルをあわてさせた。
スカパー!のアフターゲームショーで今節のベストゴールに選ばれたのも納得がいく。

直志君を選手名鑑で捜してみると、好きなアーティスト:エリック・クラプトン、に目がいきました。シブッ!
(ちなみにヤット君の好きなアーティストは:ナオト・インティライミ、う。)

2011年10月15日土曜日

Gary and Mark reunion!:(彼らの意外な関係)

7.と書いて、すぐにわかる人が
どれだけいるか心許ないが。(前のが長くなったので別の稿に)
Folk Alley で、"Americana music awards"の、表彰式の中継をやっていたので、それとなく聞いていた。

"Song of the year"が、Justin Townes Earle の "Harlem River Blues"で、 "New / Emerging artist of the year"が、Mumford And Sons で、"Album of the year"が、"Band of Joy / Robert Plant"というアワード。

"Duo / group of the year"の発表者(Winner is ***!)を、Gary Louris と Mark Olson がやっていたのだ。
このふたりは、Jayhawks のオリジナルメンバーだった。ソングライティングコンビで、曲によって仲良くリードvoを取っていたのだが、やっぱり、仲違いをしてしまって、Mark はバンドをやめてしまったのだ(95年の"Tomorrow the green grass"がふたりの最後のアルバム)。

でもどうやらコンビ復活らしい。さっそく調べてみると、先月出た新譜"Mockingbird time"は、ふたりがそろっての、Jayhawks ひさびさのアルバムらしい。おお。また、楽しみが増えた!

授賞式にはほかに、Gregg Allman,Jerry Douglas,Lucinda Williams などが出てきて、コメントして、演奏していた。
最初の方に出てきた Lucinda は、コメントのあと涙ぐんでいた。へー、そんな風なシンガーには思えなかったけど、わかりませんね。見かけと、声だけで、性格まで判断してはいけなということです。

8.Jayhawks と Joe Henry との意外な関係
Jayhawks のアルバム "Hollywood town hall"を買ったのは、ジャケットがおもしろそうだったから。ハリウッドっていうには、寒そうじゃないか、こいつら。1992年だ。ぼくはどこにいて、何をしていたのか、さっぱりわかりませんが。
これはバンドの3枚目のアルバムで、言ってみればメジャーデビュー作品でもある。

ひさしぶりにこのアルバムを聞いていて、ブックレットの最初を見ていると、Joe Henry がコメントを寄せているのだった。これは、あの、Joe なのかしら?
調べてみると、やっぱり、今売れっ子プロデューサーで、シンガーソングライターの Joe Henry さんだったのである。
Joe Henry の、92年、93年のアルバムは、Jayhawks をバックにレコーディングしたとある。一緒にツアーもしたようだ。お友だちだったのね。知りませんでした。
(そういえば、ウィルコのデビュー作もジャケ買いだったような。ジャケットにラジオが写っているというだけで、買ったのに、こんなにも長いつきあいになるとは思わなかったぞ)


The whole love:ウィルコの新作その他

この2週間、特に忙しかったわけでもない。でも、ブログの更新は止まっていた。一度、ペースが狂うと、書きたいことがたまって、余計にだんだん、更新できなくなる、ということがたまにある。

で、そういうときは、どうするかというと、たまったネタを一気にはき出すのがいちばん早い、というのも経験的にわかってきた。

というわけで。本も、音楽も、その他も何もかも一緒になってしまうのが、唯一の最大の難点だが。

1.「光あれ/馳星周」
敦賀が舞台の短編連作集。敦賀にあるのは、原発ではなく、「原電」と呼ばれているのかどうか、現地のことはよくわからないが、電力会社の持つ原発とは違うのだという、作者の思いがあるのかもしれない。
震災後に書かれたものではなく、最後の短編発表が2011年3月というタイミングで書かれたものだ。別に震災も、メルトダウンも起きない。でも、原電はいつもそこにある、という小説だ。

2.Wilco / The whole love (2011)
待ちに待ったウィルコの新譜は2枚組(といっても2枚目は4曲だけのボーナスディスクのようなもの)。1曲目 "art of almost"、あかん、アヴァンギャルド復活じゃあ!!
ずっと聞いていくと、いつもの Jeff 節になっていくのだが…。なんだ、これは?

3.NTP vol.4
次なる被災地支援は「夏の楽園トレーナープロジェクト」。
寒くなってきて、今度は長袖トレーナーを送ることにした。Tシャツに比べたら、トレーナーはうんと高いので、枚数はうんと少ない。でも、無理しても、続かないので、少しずつ、ずっと、が大切なんじゃないかと。思います。

4.iPhone4s 発売
"4s"の s は、ひょっとして Steve の S?
Steve は、確実に世界を変えた?
Yes! Si! Ja! Oui! はい!

5.ARK には毛布を
ARK というのは、ダイアナをもらったところで、正式には「アニマルレフュージ関西」という。代表者はオリバーさんという英国人で、ときどきテレビにも出ているよと、カミさんは言う。

ARK は、東北にもボランティアを派遣して、引き取り手のいない動物たちを保護している。
引き取った動物たちは、できるだけ里親のところに行けるように、ARK はいろいろな活動をしているが、引き取り手のない動物たちは、大阪の山奥のシェルターで暮らしている。

そのシェルターに必要な毛布を送った。8枚。不要品で引き取った毛布と、息子たちが使って少しぼろぼろになった毛布とで、原価はほぼゼロだから、送料だけボランティアね。



6.サイト更新

サイト、といっても仕事の方の「走る代書屋」の方ですけど。
ネット経由で来る仕事はほとんどなくて、更新もほったらかしになっていたけど、そのまんま、というわけにもいかないので、ひさしぶりに更新した。
思いきって、プロフィールと写真を公開!
写真は、ちょっと古い。
それに、こんなプロフィールを読んでも、「よし、わかった、仕事を頼もう!」などと考える人は誰もいません、たぶん。

2011年9月29日木曜日

Old man eats soybeans:あなたはこの50年をどう生きたのか?

今週の朝日俳壇から

枝豆を大豆と知らず五十年 / 可知豊親

うーん。どう?
50年生きちゃいましたね。どっちみち。
枝豆は大豆だと知ったその日から、あなたの新しい人生ははじまった。その日から、空はみどり色になり、枝豆はあおくなった? うーん、そんなはずはないよね。

自分は何も知らないのだ、ということを受け入れていくのが、老化なのかもしれないと思うこのごろのわたしだが、知らないからこそ、知りたいことがたくさんあると思うことも、今のわたしだ。

知らないことを、知らなくても別に困らないからと開き直って生きていくのも、これからの老後だし、知らなかったのは悔しいから、これからもっといろんなことを知りたいと思うのも、老後なのかもしれない。

わたしは、その後者の「老後」を選択したいと思うことが普通のことではあるけれど、知らないことは知らないと、開き直る「素人としての」老後も決して悪くないのではないかと思う老後もありかもしれない、とも思わないか?

うん、いや、よくわからないですよ、実際には、どんな老後をすごしたらいいのか、そんなことは、よくわかりません、何たって、まだ55才ですもの…


2011年9月25日日曜日

Geschwindigkeitsbegrenzung:「速度制限」


ドイツ語はむずかしい。単語をどんどんつなげて、名詞を作る。
こんなの、反則じゃ。これを一単語で覚えろなんて。

でも言葉を覚えれば、愛着もわく。
ベルンハルト・シュリンクの「逃げいていく愛」という短編集を読んだあと、今度は彼のデビュー作「ゼルプの裁き」を図書館で借りてきた。
主人公は私立探偵だ。ドイツにもいるんだ、あるんだ、そういう職業が。うん、それだけでもうなんだかびっくり仰天。
そりゃあるだろ。日本にだってあるんだし。

日本はややこしいことがいっぱいある国だけど、ドイツだって、負けていない。短編集を読んでいると、そのややこしさが、めいっぱい伝わってくるのだ。

でも、ドイツのややこしさが、他の国、たとえば、アメリカ合衆国の持つややこしさともまたちょっと違うというところが、やっぱりいろいろむずかしい。いろいろむずかしいから「小説」というものが、なりたつのかもしれないけれど。

ややこしくない国で、ややこしくない生活を送りたいと思っているぼくのような日本人も、日本国に住む限りは、やっぱりややこしさからは逃れられないということをわからないといけないよと、誰かが言うので、わかったふりをしてみたけれど、やっぱりわからないことはわからない。
なんでこんなにいろんなことがややこしいのか、ぼくにはわからない。

ドイツ語はむずかしい。
スペイン語もむずかしかったけど、ドイツ語もむずかしい。
でもホントは、日本語もやっぱりむずかしい。
うん。そう思わないと。

2011年9月23日金曜日

Ancient music:古楽の4枚



ひさしぶりに中古レコード屋へ行った。Rock,Pops 系をさておいて、Classical 系を見てみる。あるある。古楽系の輸入盤がいろいろ。

Biber:Violin sonatas / Romanesca
C.P.E.Bach:Three cello concertos / Bach collegium japan
Albinoni:Concerti a cinque / Collegium musicum 90
J.S.Bach:Cantatas / La petite bande

2回行って2枚ずつ買った。
アルバムの発売元は上からアメリカ、スウェーデン、イギリス、ドイツだ。ブックレットは基本的に英語、ドイツ語、フランス語で表記されている。
ふーむ。Classical 系が普通に、地方都市で、輸入盤が流通している時代なわけだ。
FMで流している曲やアルバムをアマゾンで検索しても、ほとんど出てこないのは、古楽系のアルバムの輸入盤はアマゾンで扱っていないということか。

ちなみに iTunes で検索してみると、おお、出てくるねえ。
なんだ、そういうことか。iTunes で買えばいいのだ。

Vivaldi の協奏曲を極めてみたいとふと考えた。
作品3と4、8、9の全曲、全部で4500円! というアルバムを iTunes で見つけた。Ancient music & C. Hogwood じゃねえか。悪くないね。
CDにすると8枚分? え? そんな安い? 日本ではすでに全部廃盤扱いで手に入らない(たぶん)。

Dead の Download シリーズよりは高いか。うーん。比べちゃまずいよね?

2011年9月17日土曜日

groove 75 pts:機嫌の悪そうな Van



wolfgangsvault.com のビデオ・アーカイブから、機嫌悪そうシリーズ第2弾。
Van Morrison at New Jersey,10/5/1979.

"Into the music"を出した直後のライブ(たぶん)。ステージのメンバーも、レコーディングとほぼ同じと思われる。映像は白黒だ。
古い代表曲とアルバムからの曲が半分ずつくらいか。

G・デッドと同じく、Hello なし、Thank you なし、曲目なし。つまりMCなし。Van はぜんぜん笑わない。ぜんぜんうれしそうじゃない。
機嫌悪いのかな? いつもこんな顔して歌うのかな?

Live album "It's too late to stop now" のころは、もっとおしゃべりだったはず(それは1973年のライブ)。
それから20年後のライブアルバム "a night in san francisco"(1993) でも、自分でバンドのメンバー紹介したりしていた。
(アルバムを引っぱりだして、ひさしぶりに聞いたのだ)

ずっと見ていくと、この79年のコンサートでは、終盤の "Tupelo Honey" の最後で、VM 自身がメンバー紹介をしている。"Van Morrison Band" という風に紹介している。まあ、あいかわらず不機嫌そうに。
Sax は、Pee Wee Ellis で、もともと James Brown Revue にいて、この VM band では、Musical Director と紹介されている(Wiki による)。

他には、昔からのメンバーでは、ベースの David Hayes 、ギターの John Platania がいて、あたらしいところでは、トランペットに Mark Isham なんてのもいる。今では有名な映画音楽コンポーザーだ。

狭いステージ(奥行が2間くらいか)、始終ステージでたばこを吸っている Van、譜面なしで演奏しているメンバー(当たり前だけど)。
アンコールの "Brown eyed girl" のあとでは、さすがにひとこと「ありがとう」と言ってました。
全体で groove 75 points というところか。

2011年9月11日日曜日

Yoshida or Yasuda:または Sawa と Miyama、そしてしあわせなぼくたち


サッカー日本代表、男子と女子、両方のゲームをこんなにいっぺんにたくさん見たことがあっただろうか。どっちも真剣勝負だ。どっちもすばらしい。

男子代表の北朝鮮戦でゴールを決めたのは、吉田君だったのに、FIFA の公式記録では、なぜか Yasuda 君になってしまって、どこまでも運がない麻也君に同情が集まっているのかと思えば、そんなことはないみたいらしい。

女子代表は試合数が多い。見ていれば誰にもわかることだが、沢と宮間は別格である。ふたりがそれぞれ、感性と理性をあらわしているのかどうかはわからないが、ふたりがいることであのチームは完成している。
あのチームに、ふたりがいることだけですでにすばらしいと思う。対戦相手がどんなチームでも、勝てるのではないかと思えてしまう。

アスリートらしくないロングヘアをなびかせてボールを追っている沢を見ていると、草原を駆けぬけるナウシカに見えてくる。
沢がナウシカなら、宮間はなんだ? とカミさんに聞く。
宮間はコナン!

2011年9月8日木曜日

It's getting better:ドラえもんはどこにでもいる

「こんなこといいな できたらいいな」
という歌詞を書いたのは当時中学2年の男の子だったと、朝日新聞土曜版に紹介があった。へー、知らなかった。

「ドラえもん」の作者、藤子・Fさんのメッセージは「ドラえもんはどこにでもいる」だったと記事にある。
それはたとえば、
Everything's all rightだし、
I shall be released だったり、
Everythin's gonna be alrightでもあるし、
これでいいのだ」だったりするわけで、
「がんばろう」なんていう日本語よりはずっと正しいと思われる。

2011年9月6日火曜日

All summer long:サンダーバード2号は輸送機だ


今週の朝日歌壇から

夏休み長いねと言う大人たち短いと思う夏はあといくつ / 松田梨子

この人はたぶんまだ10代の前半だと思う。妹といっしょにときどき出てくる。妹の方はこれだ。

宿題はあと日記だけばあちゃんと並んで座るサンダーバード / 松田わこ

サンダーバードは特急雷鳥のことだね、たぶん(いまは「雷鳥」という特急はなくなってぜんぶ「サンダーバード」というらしい)。作者は富山県在住だから。
国際救助隊のサンダーバード2号におばあちゃんと座ったらもっと楽しいだろうけど。

台風が通り過ぎたらいきなり秋がやってきた。先週はまだ熱帯夜だったのに、今朝外の温度計を見てみたら18度だった。
被災した紀伊半島のみなさまには申し訳ないが、秋なのである。うれしいのである。
今年の夏も長かったね、やっぱりねー。暑かったしさ。

His son's voice:オノカズホというシンガーのうたを聞いた


FMの番組表をながめていたら、「オノカズホ」という名前が目にとまった。
ぼくが知っているオノカズホは、ひとりだけいて、その人はトモベマサトというシンガーの息子だ。
おお。

ぼくがカズホ君の顔をよく見ていたのは今から30年ほども前のことで、彼はまだ4才とか、5才とかそんなころだった。
10年ほど前には、親から(つまりトモベさんから)、彼の消息を聞いたことはあるが、それっきりだった。

ボブさんの息子だって、シンガーだ。
ジョンさんの息子もシンガーだ。
トモベさんの息子がシンガーになっていても不思議はない。

カズホ君のうたを聞いた。
いいと思う。
ぼくに感想を聞く前に自分で確かめたらどう?
アルバムは「綿帽子」という。去年の秋に出ている。

2011年9月4日日曜日

Hello! Charlie:メイレレスがいなくなった!


移籍期限ぎりぎりで、リヴァプールのラウール・メイレレスがチェルシーに移籍した。おお。そりゃ、困るぜ。と思うのはぼくだけか?

チェルシーは、ホントは、トテナムのモドリッチが欲しかったようだが、レドナップ監督が手放さしたくないと言い張ったので、急遽ラウールに話が来た、のかどうかはわからないが。

9月には復帰予定のスティーヴ君が戻れば、中盤センターには、ルーカスがいるし、移籍してきたばかりのチャーリー・アダムは絶好調だし、ラウールにだって、出番が確約されているとはいいがたい。
しかたない。

昨シーズン後半のリヴァプールのふんばりの半分くらいは、ラウールが支えていたんじゃないかと、個人的にはそう思うから。ちょっとさびしいぜ。

さようなら、ラウール。こんにちは、チャーリー。うう。

2011年9月2日金曜日

Love the one you're with:機嫌の悪いネヴィル兄弟たち


wolfgangsvault.com のヴィデオ・アーカイブから次のお知らせが届く。
Featured Video: The Neville Brothers, "Sitting in Limbo," Martha's Vineyard Festival, August 10, 2008

なんだかおもしろそうじゃないか。見てみる。
Martha's Vineyard 島は、オバマ大統領が休暇を取っていたところ。カーリー・サイモンが住んでいて、こどもたちとコンサートをやった島。
そのむかし、名古屋のロックバンド、Sentimental city romance のツアーバスに、 Martha's Vineyard (たぶんアパレルメーカー)というロゴが入っていた。ぜんぜん関係ないけど。でも、その島の名前はそのときに覚えた。

で、この人たち、なんだか機嫌悪そう。
機嫌の悪い原因(推定)
1.リハがちゃんとできなかった
2.出演順が気に入らない
3.楽屋のケータリングが悪い
4.昨日の夜、ガールフレンドまたは奥さんと喧嘩した
5.暑い、ないしは寒い
6.移動が大変でくたくた
7.弁当がまずかった
8.ケータリングのオネエちゃんの愛想が悪かった

まあ、いろいろだ。理由は何とでもなるだろう。一度損ねた機嫌はなかなか元に戻ってくれない。
ボブ・ディランのように「客はデッドヘッズばかりだら、オレは出るのいやだ」などとごねる人もいる。理由はイロイロだ。

set list は悪くないのに、途中で見るのをあきらめた。
カメラワークも最低。
ま、こんなのもあり、ね。free だもの。

2011年9月1日木曜日

split log:冬の準備は万全


週末の二日間、薪仕事にいそしむ。もらってきた丸太はほぼなくなり、空いていた棚も全部薪で埋まった。これで2シーズン分の薪が確保できた。

このごろは斧で薪割りをしなくなった。斧を振りあげるのが大変になってきたのかもしれない。
玉切りした薪に上からくさびを打ちこんで、地面に倒して、横から槌でくさびをたたく。すぐに割れそうなのは、それでいいのだが、簡単には割れないようなのは、立ち上がって薪を足で踏んづけ、斧の反対側に付いている槌でたたく。これでたいがいの薪は割れる。

くさびは、割りたいポイントに正確に打つことができるので、割れるポイントを見極めることが、力をかけないで薪割りをするこつだ。
斧だと、そのポイントに正確に刃先が入らないから、余計な力を使うことになる。
年を取れば、いかに力を使わないで作業をするか、が大事なことになってくるのだ。



ちなみにこの写真でわかるように、玉切りした薪を、チェンソーで縦に半分くらいまで切りこみを入れておくと、あとで割りやすくなる。
楠やけやきは3分の2くらいまで切りこみを入れることもある。力仕事はできるだけ避けたいのだ。
くさびは2個必要だ。1個だけでは、抜けなくなったとき、どうしようもない。そういうときは、もうひとつのくさびを反対側から打ちこんでやれば、抜くことができる。

今回はまじめに薪割り談義。

2011年8月25日木曜日

Phish on video:ぬるま湯的人生のぼくにはちょっとハードなやつら



ひさびさに Phish のダウンロードサイトをチェックしてみた。夏のツアーは一段落したところだ。
お? Live video? Free? いいじゃない。
1日1曲見せてくれるの? いいじゃない。Phish の映像を見るのは初めて。

8/15/2011,Chicago. スゲーェな、こいつら。4人しかいないのに、この音の厚みはどうだ? 
ギターの Trey さん、どっかで見たことあるよな、おお、ドルトムントの監督ユルゲンさんになんとなく似てねえ?
8/10,Lake Tahoe は野外ステージだ。いい感じだねえ。key の Page さんは、ちゃんとグランドピアノだな、よしよし。
うーん、だけど照明のプランはだっさいな、え?

しばらくながめる。4人の中で一番カッコイイのは、ベースの Mike に決定!
もう少し音に隙間が欲しいな、個人的には。どっちかっていえば、ぬるま湯にどっぷり浸かりたいタイプなのさ。

2011年8月24日水曜日

Alles Klar!:ジョッキの目盛り


ドイツ語の勉強をはじめて5ヶ月だ。まだまだ、話すというレベルにはほど遠い。ドイツ語もたいへん。

名詞は文中でもいつも大文字ではじめる。
動詞の活用はスペイン語ほど大変じゃないけど、冠詞の活用が驚くほどたくさんあって、これを覚えるのが難敵。
スペイン語よりは、やはり英語に近い作りではあるが、まるっきり同じではないから、文法はややこしい。
再帰代名詞を使うところはスペイン語に近く、動詞のあとに目的語がくるのは英語っぽい。でもときどき動詞が文の一番最後にくるときもあって、それはどうも日本語的であったりする。
発音はスペイン語より大変だ。母音が特にむずかしい。

でも言葉を少しずつ覚えていくと、サッカーのゲームが深夜11時に始まる国より、ビールジョッキに目盛りが付いていて、そこまでビールが入っていないと、突っ返すことができる法律のあるドイツの方が、なんだか、親しみがわいてきた。

2011年8月21日日曜日

CSNY1973:唯一無比?


先日の Gillian Welch に続き、今度はCSNYの1973年の映像を見せてやるよ、という案内が wolfgangsvault.com から来たので、さっそく見てみた。

"Roll another number(for the road)"を4人でやっている。といっても、ニール君がギター弾いて歌い、スティーヴ君は適当にギターを弾いて、グレアム君とデヴィッド君はときどき調子の外れたコーラスをつける、という程度のもの。
白黒で画像は荒い。



調べてみるとこの日(Oct 4,1973 Winterland,SF)のライブはもともとマナサスのステージで、そのアコースティックセットに、他の3人が出てきた、ということらしい。
客は喜んでいるけど、どうみてもちゃんとリハーサルをしているとは思えないし、仲が良さそうにも見えない。
グレアム君は、ニール君のギターのマイクを直したり、イスを運んだり、気を遣ってる。デヴィッド君は、適当なMCで場をつなごうとしている。
客席は大騒ぎだけど、マナサスのメンバーはうれしくないだろうな。

この年の夏にはハワイでCSN&Yの新しいアルバム("Human Highway")のためのリハーサルをしたけれど、結局はレコーディングまでには至らず。
このあと74年の夏には、CSNYは巨大スタジアムツアーをやった。
そのときの最初のステージを見たローリング・ストーン紙の記者は書いた。
「こいつらは他のどんなグループとも違うってことがはっきりした。-not America,not Bread,not Poco,not the Eagles,not Seals and Crofts,or Loggins and Messina,or Souther,Hillman,and Furay. Not even Manassas or the reunion of the original Byrds.」
ふー。まあ、そりゃそうなんだけどさ。
(余計なことだけど、当時アメリカとイーグルスは、CSNYのマネージャーだった Elliot Roberts とマネージメント契約を結んでいた。)

2011年8月20日土曜日

Wir horen gern Radio:週末はみんなでラジオを


ベルンハルト・シュリンクの「週末」を読んだ。
ドイツの元テロリストが恩赦で刑務所から出てきて、昔の仲間と再会する、という話。
夢はなぜこわれてしまったのか? ぼくたちが失ったものは何だったのか?
まあ、下世話に言えばそういうことだし、そういう下世話な話がオレは好きなんだな。

ブランデンブルグ郊外の古い屋敷に、12人の男女が集まる。途中から13人目が登場するのだが、そいつについては読んでのお楽しみ。
主人公というのは特にいなくて、群像劇、室内劇に近い展開だ。

古い家だから、電気が来てなくて、大統領の演説をみんなでラジオで聞く、というシーンが出てくる。
「まいにちドイツ語(ドイツ語、基礎のきそ)」というNHK語学講座によれば、ドイツでは朝のテレビは前日の再放送をしていことが多く、ほとんどの人はラジオを聞いているんだそうだ。
テレビをつけっぱなしにして、一日を過ごすのは、アメリカ人と日本人くらいなのかも。



言葉を覚えるということは、その国の習慣を知るということでもある。
ドイツ人の多くは、寝るとき横向きだそうだ。仰向けに寝る人はほとんどいないらしい。ふーむ。
(タイトルのドイツ語ふたつめの単語の"o"は、ホントはオーウムラウトで、○の上に点がふたつ乗っている文字なんだけど、それを表示しようと思うと、別の文字がうまく表示されない可能性があるので、このままに。発音は「ヘーレン」に近い。ちなみにサッカーのドイツ代表監督の名前"Low"の o も同じ文字。)

2011年8月19日金曜日

Castle in the sky:ラピュタの雲は今どこに?

先日ひさびさにでっかい入道雲を見た。
ラピュタの城は今ごろどこをさまよっているんだろう?

「天空の城ラピュタ」を見たのは、86年の8月だった。
カミサンのオヤジさんが亡くなったすぐあと、ぼくらは犬山のアパートに引っ越して、そこで暑い夏を過ごした。
長男を連れて、3人で名古屋の映画館まで「ラピュタ」を見に行ったのだ。
「ナウシカ」はもう見ていたと思う(たぶんテレビで。調べてみると85年4/5に初回放映とあるからきっとこれを見た)。



映画館を出たあと、ぼくらはものすごく興奮していたと思う。暑かったけれど、空ばっかり見上げていた。どこかにラピュタの雲があるんじゃないかと。

あの夏、フリーコンサートは企画の途中で頓挫した。ぼくにできることは何も残されていなかった。運送会社の面接に行ったりした。
でも結局、ファッションショーの雑役で拾ってもらって、そっちの世界にだんだん入っていくことになった。

La puta と書くと、スペイン語圏では使えない名前となるため、タイトルが変更されたと Wikipedia にあった。なるほど。
Hijo de puta といえば、英語の SOB だものな。

2011年8月17日水曜日

He's leaving home:水曜の朝午前5時じゃないけれど


今から40年前の8月、毎日朝から晩までビートルズの"Sgt.Pepper's"を聞いていた。アルバムが出てからもう4年が過ぎていたが、あとから思えばきわめてリアルタイムに近かったとも言える。

あのころよくレコード交換をしていた隣のクラスの女の子には、このアルバムはあまり好きじゃないと言われてしまった。
それより今はこのサウンドよ、と言って貸してくれたのがCSN&Yの"4 way street"だった。

長男がアパートを借りて、彼女と暮らすという。いろいろ家具を揃えたようだが、自分で使っているタンスや棚は持っていきたいというので、トラックに乗せて運んでやった。

デッドを聞きながら運転席に座っていると、デッドの音楽とはぜんぜん関係なく、"Sgt.Pepper's"の"She's leaving home"が浮かんできた。

水曜日の朝午前5時、一日が始まろうとするとき
ベッドルームのドアを静かに閉めて
もっと言いたいことがあったけれどという書き置きを残し
彼女は階段を下りてキチンへ行く
ハンカチーフを握りしめたまま
裏口のキーをそっと回す
外へ出れば彼女は自由


家出の歌だ。
取りたてて言うほどのこともない歌ではあるが、14才の時に聞く歌としては、それなりにインパクトはあっただろう。
いつまでも家出の歌として記憶されている。家出とはこうするべき、みたいな。

だが、長男は家出したわけじゃない。
家出を勧めたことはあるけれど、それとこれとでは話が違う。
トラックにタンスを積みこんで、彼女と暮らすために、家を出るんだ。
うん、なんだか悪くないじゃないか。


2011年8月15日月曜日

Morning dew:非正統デッドヘッズ



少し前に携帯をスマートフォンに替えて、Evernote というアプリを入れている。メモ、写真、ネットのクリップなど何でも取りこんで、クラウドでどっかに送っちゃうというソフトだ。要するに、スマホ本体に写真を保存してないので、クラウドのどっかに保存されているデータをPCで受けとることができるということ。PCとケーブルでつないだり、SDカードを取り出したり、みたいなことが必要ない。
それだけのことだけで、ブログに写真を入れてみたくなる。

何日か前、いつものように5時前に起きると、いつもとは少し違う朝焼けだった。どこがどう違うのか、うまく説明はできないけれど、わずかに色合いが赤みを帯びていた。
我が家の勝手口から出てすぐ、東むいて、スマホで写真を撮ってみた。

"Morning dew"は、Jerry が歌ううつくしいバラード。
ジャム演奏の長大な曲が続いたあとに出てくる、クールミントのような歌のひとつだ。このパターンに属している曲は他にもいくつかある。
"Stella blue"とか"Days between"とか。

デッドのショーに関しては、長大なジャムがつながるセット2より、短めの歌曲が連続するセット1の方が、個人的には好みである。
セット2のドラムソロ(ギターやキーボードはお休み)や、"Space(ドラムの二人は休憩)"は、たいがいとばして聞いている。
そういう聞き方は、正統デッドヘッズからは、非難されるかもしれないけど、いいのだ、別に。

2011年8月12日金曜日

He's gone:命日の特別の贈り物


8月9日は、ジェリー・ガルシアの命日である。
その日の午後、Grateful Dead の"Road trips vol.4,No.4,Spectrum(Philadelphia),4/6/1982"が我が家のポストに届いた。
偶然とはいえすばらしい。
8月2日に発送しましたよ、というメールが来ていたけど、カルフォルニア州の Redwood city から、岐阜県まで12日間かかるかも、とあったので、お盆のころかなあ、と考えていたら、いやあ、どんぴしゃで。

80年代のデッドである。
デッドはその歴史を通じて、トータルで53回ものショーをこのスペクトラムというホールでやった、と解説にある。最初が1968年12月だもの
(スペクトラムは、プロバスケットの 76ers のホームで、2010年に取り壊された)。

80年代である。
だけど、いつもとぜんぜん変わらないデッドが、そこにいたわけで。
デッドがまだ、メガスタジアム時代に突入するちょっと前。たぶん、個人的には、一番好きな時代なのかもしれない。
ジェリーの命日には、デッドの新しいアルバム聞いて。
申し分ありません。


Gillian Welch:わたしが誰だかだれも知らないの


最近の wolfgangsvault.com は、ビデオのアーカイブも充実してきた。
このあいだ見たのは、Gillian Welch の"Newport Folk Festival (Newport, RI) Aug 3, 2008"という映像。全部で10数曲というちゃんとしたライブだ。
パートナーの Dave Rawlings とふたり、マイクの前に立ち演奏する。当たり前だがシンプル。他にはなにもない(他の出演者の楽器は並んだままだが)。

Gillian Welch はもちろん良いのだが、ソロアルバムを出した Dave 氏も、なかなかのものである。ギターが良い、コーラスも良い。



ナッシュビルからずっとクルマで走ってきました。みたいなコメントも、なんだかフツーのシンガーだよね。

客席がときどき映るけど、ちゃんと聞いているのは、50人もいないような感じ、たぶん。ざわざわとした客席に向かって歌うは、正統アメリカン・トラディショナル・フォークだ。
"No one knows my name"という歌が、この映像にはぴったりかも。

2011年8月8日月曜日

Music never betray me:8月の国の住人


仕事の帰り、FMを聞いていると、Timothy B. Schmit の "So much in love"(1982) が流れてくる。
8月、フリーコンサート、名古屋の街、ミーティング…。様々な映像が一瞬にして流れてくる。
コンサートが始まる前のワクワク感が胸を満たす。
コンサートに行くことが楽しくて仕方なかった。コンサートをやることが何物にもかえがたい喜びだった。

あれから30年近く経って、今のぼくはコンサートの現場からはひどく遠いところにいる。みずからそういう選択をしたのだから、今となっては言うべき言葉はない。ただここにいるだけだ。

いまはまだ同窓会に参加する気にはなれないし、たぶんこれからもないかもしれない。
オレは自閉症なんかなあ。


2011年7月22日金曜日

Deadhead heaven:コステロさんも天国


Dead.net からお知らせが来て、今週末、コネチカット州ブリッジポートの海岸で、"Gathering of the Vibes"という festival があるという。
出演はFurthur,Elvis Costello,Tedeschi Trucks band,Levon Helm などなど。



ヒストリーを読んでみると、ことの成り立ちは96年、ジェリーがいなくなったあと、Deadhead たちが集まれるコンサートを、という企画から始まったとある。なるほど。最初の年のタイトルは "Deadhead Heaven"。
いいなあ。とってもストレートで。

その Furthur に、Elvis Costello が、ゲスト参加した今年3月の NY のショーをゲットした。

Tennessee Jed / Friend Of The Devil / Ship of Fools / It Must Have Been The Roses / Ship of Fools /

これをずっとコステロが歌っている。もうたまりません。
コステロさんは、Deadhead circle にうまく収まってますねえ。とても喜ばしいことです。

2011年7月20日水曜日

I wanna marry you:単独の希望


月曜日の朝、W杯の決勝とコパ・アメリカのブラジル戦(準々決勝)を、チャンネルを切りかえながら見ていた。どっちもPK戦で、日本が勝ち、ブラジルが負けた。
そのあと、テレビはなでしこで大騒ぎしていたが、ブラジル敗退のニュースはなかった。コパ・アメリカはアルゼンチンとブラジルがいなくなり、優勝はウルグアイ? パラグアイ? 
あそこに男子日本代表がいたら、セミファイナルあたりまで楽しめたかもしれないと思う。残念だが、仕方ない。

「Hope Solo.君と結婚したいよ」、というゲーフラを、フランクフルトの客席で見つけた。Hope Solo は、アメリカ代表キーパー。
Soloというのは、ヒスパニック系の名字なんだろうか? 顔立ちもよく見るとそんな感じがしないでもない。

英語版wikipedia を見てみる。どうやらイタリア系のようだ。父親はブロンクス育ちで、"a sometimes-homeless Vietnam War veteran"とある。
「ときどきホームレスのベトナム戦争退役軍人」? 彼女が6歳の時に離婚している。

女子サッカーはアメリカの国技のようなものと、新聞にあったが、なぜかアフリカンや、ネイティヴ系はいないのだな? 良家の子女のスポーツ、みたいな感じだ。

2011年7月17日日曜日

NTP3:おとな部門ふたたび


被災地の人たちが、Tシャツを必要としているのはこの時期だけだということは少し考えてみればわかるはずのことで、金銭的な余裕があるわけでもないNTP(夏の楽園Tシャツプロジェクト)においては、プロジェクト3は、もう少し先にと考えていたのであるが、やるなら今しかないと、3を決行する。

今回はおとなTシャツ部門だ。
いろいろ探してみたが、結局前回送った石巻市の被災地域からそんなに離れていない、やはり海岸地区の公民館に送ることにした。

大人用Tシャツ54枚。男性用、女性用に分けて送った(50枚はTシャツショップで買った。4枚は「夏の楽園」のもの)。
どこの家もまだ風呂に入れないようなので、Tシャツの着替えはたくさんいるのだろう。少しでも快適な夏を過ごしてもらえれば、と願う。

<余計な言葉は無くていい。>

必要なのは、必要とされている物資を、必要とされている場所へ送ることである。

2011年7月12日火曜日

2 spins:わたしたちが孤児だったころ


本のスピンについては、以前に書いた。あらためて調べてみると、こいつは、ほとんど日本にしかなくて、和製英語で、しかもどんな綴りなのか、わかっていないという(Wikipediaより)。

2本のスピンが付いた本を見つけた。というか、たまたま借りた本にスピンが2本付いていたのだが。伊坂幸太郎の「バイバイ、ブラックバード」という本だ。
イサカの本はときどき読む。これは連作短編集。設定がおもしろいのであっという間に読める。この人は長編向きだと思う。饒舌な文体でおもしろさが出てくる。以前に短編集(連作じゃない)を読んだことがあるが、ぜんぜんおもしろくなかった。


この本になぜスピンが2本なのか、わからない。その必然性については、わからない。2本あるというのは、それはそれで結構じゃまだったりする。スピンは1本でじゅうぶんである。
この連作集は「ゆうびん小説」として企画された、とあとがきにあるから、なにか変わったデザインを考えようとした、デザイナーの勇み足なのかもしれないとも思える。

同じときにカズオ・イシグロの「わたしたちが孤児だったころ」を借りた。イシグロを読むのははじめて。以前に挑戦したときは、途中で挫折した。前半の格調の高さが、後半にはだんだん無くなって、めくるめき展開に。
ハイテンションで、前半0-0に終わったゲームが、後半になるといきなりオープンな撃ち合いになって、2-3でアウェイチームの勝利! みたいな展開です。

2011年7月11日月曜日

NTP2:夏の楽園Tシャツプロジェクトこども部門


限りなく「お荷物」に近かった夏の楽園のTシャツを、被災地に送ったあと、われわれの行動は在庫一掃だけではないという意思表示も必要と思い、新品のTシャツを送ることにした。
夏の楽園Tシャツプロジェクト(仮称)と名付けられた支援活動は、次なる「こどもTシャツ部門」へと発展する。

われわれ(ぼくと元パラダイス・エイトのひとり)は、ネットで新品のこども用Tシャツを買いつけ、前回の「おとなTシャツ部門」の送り先と同じところに送った。
被災者の情報は、流さないでくれという「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の要請があるので、詳しいことは書けないが、石巻市の海岸に近い被災者宅150世帯のまとめ役のところに、Tシャツが届くはずだ。



余計な言葉は無くていい。<復興の狼煙プロジェクト>

だから、次の展開を考える。次は、おとなTシャツ部門2L,3Lサイズはどうかなと考えているところ。岩手県大槌町へ。

2011年7月10日日曜日

Anti-nuclear:いま菅を支持する


原発は遠い世界の話だった。
ずいぶん過去のことだが、デモや、反原発コンサートに参加したことはある。でも、やっぱり自分とは、どこか距離があった。

反原発を身近に引き付けて考えようとすると、薪ストーブとノーエアコンにたどり着いた。太陽熱温水器もまあ、その仲間か。
ずっとそうしてきた。ずっと使ってきた(エアコンは使ってこなかった)。

だけどいま考えなければいけないことは、いまどうすべきかだ。
「節電」なんて当たり前のことを、いま、ことさらに言うことの方がおかしいと思う。節電しなきゃ日本人じゃないぞ、みたいなことの方がおかしいと思う。
それは政治の世界のことかもしれない。

東電から献金を受けていない国会議員は、菅と小泉だけだ、と矢作俊彦のtwitterに書いてあった。「彼ひとりができるかもしれないのだ。だから菅を支持する」。
you tubeで見た宮崎駿のメッセージ(「自然エネルギー法案をぜひ通してください、菅さん」)にも重みはあった。
原発の現況に関しては、あまりに不勉強だし、政界のこともさっぱりわからないので、菅を支持することが、正しい!とは大声で言いにくい。

「余計な言葉は無くていい。」という<復興の狼煙プロジェクト>のポスターを見ていると、「余計なことは言わなくていい」んだと思う。
(このポスタープロジェクトは、検索すればすぐに出てきます。教えてくれたH様ありがとう)
だけど、言わなければいけないことは、大きな声を出して言う必要があると、矢作さんや宮崎さんは言うのである。ポイントはそこだ。

エアコンは去年の秋に、ついに取りつけた。室温が夜でも30度以上という去年の酷暑に耐えきれなくなったからだ。ぼくたちも生きていかなくちゃならない。熱中症で死にたくはない。

2011年7月4日月曜日

With a little help:「夏の楽園」Tシャツ、被災地へ

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」というサイトを通じて、宮城県石巻市の被災者に「夏の楽園」Tシャツを185枚、送った。
1週間前、ふと思いついてTシャツの数を数えてみた。87年から99年分まで、全部で255枚あった。
ネットで調べてみると、Tシャツを希望している被災地の人たちがかなりいることがわかった。
「夏の楽園」Tシャツは、我が家の廊下で眠っているより、これから暑くなるであろう東北の人たちに着てもらった方が、よい。
むずかしいことはあまり考えず、被災した人たちに直接届くような形がいいような気がした。
Tシャツは、袋に1枚ずつ折りたたんで入っている。それにチラシも入っている。チラシはTシャツを買ってくれた人へのメッセージなのだが、被災した人たちには、チラシは意味のないことなので、袋から抜いた。

そんな作業をしていると、いままで文字通り「お荷物」だったTシャツ君が、にわかに親密なものとして目の前に拡がる。そして、袋詰めやら何やら、いろいろ一緒にやってくれた仲間たちの顔も浮かんでくる。もう何年も会っていない。彼らにひさびさに手紙を書いた。

「ぼくたち」にとって、フリーコンサートと、Tシャツはいつもセットだった。フリーコンサートのことを考えることは、イコールTシャツのことを考えることだった。
3.11以降、ぼくは何もアクションをしてこなかった。
でも、Tシャツにこだわって、これからアクションを起こすのも、自分らしくていいかも、と考えることにした。

Tシャツはまだ少し残っているので、次なる手を考えることにする。



<今日着ているシャツは98年。もうずいぶん生地が薄くなった。もちろん被災地に送ったのは、一度も袖を通していない新品です、念のため>

2011年6月23日木曜日

non-fiction:「ホームレス歌人のいた冬」


2008年暮れに朝日歌壇に突然現れ、9ヶ月後に忽然と消息を絶ったホームレス歌人を追ったルポタージュだ。
ノンフィクションのおもしろいところは、追う対象だけではなく、追っている自分はいったい何者? という自問から逃れえないところにもあると思う。
このルポの筆者は元新聞記者で、思うところあって、98年から07年までペルーに住んで、現地からのレポートを書いていたという人。日本に帰ってきても、ライターとしての仕事はなく、ハローワークで求人票をながめていてばかり。50歳を前に、第二の人生を考えなくては、とせっぱ詰まっている。

沢木耕太郎のノンフィクションばかりを集めた全集が図書館にあったので、旅のシリーズを借りてみた。ベトナムへ行く話だ。10年くらい前か、もう少し前のころに書かれたものだろう。
これがぜんぜんおもしろくなかった。なぜベトナムに行くのか、ベトナムで何を見たいのか、ぜんぜん伝わってこなかった。ひりひりしたものが何もなかった。単なる観光案内みたいだった。

ホームレス歌人は結局見つからなかったが、実在の人物だというところまではわかった。
筆者の三山さんは、もう古くなってしまったのかもしれないけれど、何ヶ月も現場に通いつめて、そこで暮らす人々の生活を書いていくという、ノンフィクションの形にもう少しこだわってみようという決意をするところで、この本は終わる。
そっちの決意のほうに、なんとなく納得がいった。

2011年6月20日月曜日

my back pages 2:編集者その後

少し前に川本三郎の「マイ・バック・ページ」を読んだ。単行本をあらためてアマゾンに注文した。近所のいくつかの図書館にはおいてなかったし、文庫も出ているはずだが、近くの本屋にはなかった。
確か、むかし読んだはずだとなんとなく気にしていたのだが、どういう形で読んでいたのか、そこまでは覚えていなかった。
本が届いて、初版あとがきを読んでそれが何だったか思い出した。
「Switch」という雑誌の連載だったのだ。この話は。その当時は(80年代の終わりころ)、「Switch」を毎月読んでいたということになる。

あるとき、なにかの公演の打ち上げで(東京で、90年代はじめころの)、たまたま隣にいた女性が、その「Switch」の編集者だった。Kさんという。名刺をもらった。雑誌の話も少し聞いたような気がする。でも、とても失礼な質問をしてしまった。当時その雑誌の編集長はAさんという方で、自分としては、そのAさんの存在がとても気になっていたので、彼のことばかり聞いてしまった。

その後Kさんは、名古屋のぼくらの事務所に、絵はがきをくれたことがあったが、それ以来会うことはなかった。
「マイ・バック・ページ」のあとがきに、そのKさんの名前が担当編集者として出ている。名前は忘れていない。

いまはどうしているんだろうと、検索してみた。
銅版画家として活躍されているようだ。へー。もともと芸大卒業だそうだ。へー。
という話です。オチはありません。当然のことながら…
映画はまだ見てません。残念ながら…

2011年6月16日木曜日

Favoriten:このところのキーワード、お気に入り、その他のこと


・「ポケットの中のレワニワ」-伊井直行の長編。ぼくとは波長が合うと思う。

・「シンセミア」-阿部和重の長編。ぼくとは波長が合わないと思う。

・ドルトムント優勝-シャヒンが移籍して、来シーズンがどうなるのか不安も残るが、香川の活躍に期待しよう。

・マスチェラーノの居場所-リバプールからバルサにやってきて、中盤に居場所はないぞと思っていたら、なんとCBで優勝しちゃった。えらいぞ。バルサ優勝の陰のMVPはマスチェラーノだ。

・ドイツ語のためのスペース-4月からラジオ講座でドイツ語の勉強をはじめた。これからはリーガエスパニョーラではなく、ブンデスリーガですよ。世界一の観客動員数を君は無視できないはず。だけど、頭の中のドイツ語のためのスペースはほんのわずかしか残されていないのだ。

・いつの間にか定位置に-最下位である。FC岐阜のことだ。同期の熊本に見放され、栃木にも、北九州にも追い越され、いまや最下位が定位置になってしまった。誰が悪い? もちろんこのぼくだ。今シーズンまだ一度もスタジアムへ行ってない。ごめん。

・カストロストリート-70年代のサンフランシスコが舞台の映画「Milk」をこのあいだ見た。S・ペンがアカデミー賞をもらうやつね。70年代のサンフランシスコの勉強にはなった。G・デッドの「デ」の字も出てこないけど。それはやっぱり片手落ちなのでは。ゲイ・ムーブメントとシスコ・サウンドは切っても切れない縁なのに。
カストロストリートは、むかし「ウィンターランド」があったところからは、2キロくらい南の方だな。

・「ピエタ」-大島真寿美の長編。ヴィヴァルディの伝記かと思って読んでみたら、そんなことではなく、「ピエタの娘たち」にまつわる物語だった。音楽が主人公だといえばほめすぎかな。

2011年6月15日水曜日

Bulky waste:ゴミの名前


ゴミに名前なんかいらない。ゴミには匿名性だけが求められるはずなんだけど、そのゴミを、ゴミじゃないときに使っていた人たちは確実にいるわけで、その人たちはそれがゴミとして処分されてしまうことに異議を申し立てたくとも、もうこの世にはいない。

そんなゴミたちの、元の持ち主たちのつぶやきのようなものを聞きながら(ときどき不要品の処分なんてこともしているので)、原発問題を考えていると、原子力の安全性とか、放射能の恐怖とかももちろん大事なことなんだけど、親が死んだら、20年ちょっとで建てかえられてしまう日本の家とか、建てかえるから、家具も、調理用具も、大工道具も、写真も、盾も、何もかも全部ゴミにしてしまう人たちのことを、もっと考えてみる必要もあるのではないかと、ぼくは考えていた。

だけど、もっと考えてみると、いらないものを捨てないでどんどんため込んで、その処分を次の世代に先送りしてきた親たちにも、もちろん責任はあるのである。
目先の都合のよいウソを信じたふりをして、便利さをとことん追求してきた末の原発の存在と、なんと似ていることか。

2011年6月14日火曜日

Goodbye yesterday:昨日のぼくにさようなら

新しいバンドの音楽を、このところよく聞くようになった(もちろん、Grateful Dead だけはいつも別格なので、この何ヶ月のあいだも、常に彼らはぼくのHead に音を流しこみ続けていた。デッドの音楽は、ぼく自身の過去のどんな記憶ともつながっていないから、聞きつづけることができるのかもしれない。最近は80年代のデッドを集中的に聞いている)。

ちょっと古いのもとり混ぜて、気に入っているのは、
Red horse
Over the rhine / Long surrender
Railroad earth / Amen corner
Steppin' in it / Simple tunes for troubled times
Dave Rawlings Machine / A friend of a friend
などなど。

このところのお気に入りは Over the rhine。男女のデュオで、プロデュースを Joe Henry がやっている。
"Oh yeah by the way" という歌い出しで始まって、途中でそこのところが "Goodbye yesterday" に変わる曲が、耳に残る。
そういう気分なんでしょうね。

5月21日、母死去。永遠が見えるような晴れた朝に。

2011年4月6日水曜日

Dimming of the day:新しいアルバム

NPR の "first listen"で、Alison Krauss の新しいアルバムを聞いた。知っている曲が2曲あった。Richard Thompson の"Dimming of the day" と、Jackson Browne の "My Opening Farewell" だ。
この前のピーターさんの番組で、"Dimming of the day"を聞いたばかりだった。あのときは、Neville Brothers のヴァージョンだったが。
作者本人以外では、Bonnie Raitt のカヴァーが気に入っている。名曲だと思う。
Jackson の曲は、ひさしぶりに聞いた。これもいい曲だね。

"first listen"では、Paul Simon の新しいアルバムも聞いた。こっちは、ちょっといまひとつピンと来るものがない感じだった。

dedicated to:音楽をささげる人とささげられた祈り

いろんなところで、いろんな人たちに、いろんな音楽がささげられている。
だけど、ささげられた音楽は、ささげられた人たちのものではなく、ささげた人たちのものであると考えなければならない。
ささげた人たちと、その祈りを共有した人たちのものである音楽は、ささげられた人たちにところにまで届いているかどうかはわからない。
わからなくてもいいのだ、ささげることが大事だと思う人もいるだろう。

音楽をささげる人たちと、ささげられた音楽についてかんがえてみた。
何がよくて、何がダメなのか、そういうことを言いたいのではないが、何でもかんでもささげられてしまう、ささげられる人たちにとっては、ほんとうはもっと切実に、他のものが必要なのではないかと思うときもある。
音楽やことばではなく、もっとほかの必要なものがあるかもしれない。
よけいなおせっかいだと思う人もいるかもしれない。

ささげた人たちの祈りとも、ささげられた人たちのおもいとも関係なく、音楽は音楽であるはず。いつもそこにある。それだけでじゅうぶんだと思いたい。
祈りやおもいから自由である音楽に、ピース!

2011年3月20日日曜日

esperanza o no?:希望なのか、絶望なのか

日本はこのまま沈没していくのか、元気に再生していくのでしょうか?
メルトダウンのカウントダウンはもうはじまっているのでしょうか?

いま持つべきは、希望なのか、絶望なのか、ずっと考えています。
もちろん希望だと、言えるだけの根拠がまだ見えていません。
現場にいる東電の社員にも生きのびて欲しい、もちろん。でも彼らが撤退したら、メルトダウンは避けられないとしたら?
ではいったい誰がメルトダウンを止めてくれるのでしょう? 自衛隊? 消防車?
やっぱり絶望かな。

ぼくたちの「Homeland」がなくならないことを祈ります。希望をこめて。

2011年2月26日土曜日

Tom Wolk:musician として生きていけるのはなんてかっこいいんだろう

ひさびさに NHK-FM の「ミュージック・プラザ・木曜」を聞いた。たまたまクルマに乗っていて、たまたま聞いた。たまたまホール&オーツの特集で、Tom "T-Bone" Wolk が、去年の2月に亡くなったことを知った。

ぼくにとっては、カーリー・サイモンのライブでベースを弾いていた人として記憶されている。58才だったそうだ。

ほとんどステージに立ったことのないカーリー・サイモンが、そのころ住んでいたマーサズ・ヴィンヤード島の海岸でやったフリー・コンサート(?)の様子を収めたCDは「Greatest hits live」(1987。最初は "Coming around again" というタイトルだったと思う)というアルバムになっている。ビデオも出ていて(ぼくが持っていたのはいまはなきレーザーディスクだったが)、なぜか正月になると見たくなるという代物だった。

そのバンドのバンマスでアレンジャーで、アルバムのプロデューサーでもあった T-Bone Wolk は、ムチャクチャかっこよかった。ときどきアコーディオンも弾いた。
カーリー・サイモンのほかに、もちろんホール&オーツやエルヴィス・コステロ、 それに"Saturday night live" のハウスバンドもやっていたようだ。

彼のサイトに行くと、たくさんの写真があらわれて、彼が弾いているように思えるギター演奏が聞こえる。musician として生き、musician として逝くのは、なんてかっこいいんだろうって、勝手な思いにとらわれる。

ぼくのiPod nano には、Carly Simon greatest hits live も入っている。
だけどねー、80年代の音だよー。nano の中の他の曲と、とっても違和感あり。
今思うと、あれホントにライブ音源だったのかなって、ちょっと疑問。なんだかとってもスタジオの音がしている。
Tom Wolk や、Carly Simon を責める気はないけどさ。

2011年2月22日火曜日

No control:青いトーレス

自分でコントロールできないものについては、考えない。
そんなことを言っていたのはイチロー君だったか。
自分でコントロールできないものに、思いなやんだり、落ちこんだりすることの多いこのごろ。イチロー君のあの、まか不思議な笑顔を思いうかべてみた。

チャンピオンズリーグが再開した。バルサはアーセナルに負けた。ひさびさにバルサのゲームを見たが、見ているだけで頭がしびれてくるようなパス回しに驚愕する。プレミアではパスサッカーをしているアーセナルにできることは、高速カウンターのみ。
でもアーセナルが勝ったのだった。

リバプールには、スアレスとキャロルがやってきて、トーレスが去った。
チェルシーの青いユニフォームを着たトーレスはやはり見たくなかった。

香川がいなくなったとたん、ドルトムントのゲームの中継をしなくなったフジテレビ。だけどぼくにはコントロールできないことだ。

母親の症状は一進一退。ぼくの気持ちも One step up, two steps back。

2011年2月12日土曜日

Unbroken chain:仕事がないのはオレだけじゃなかった。

先日、行政書士会の新入会員が集まる会合に出てみた。正月以来、ほとんど仕事をしていないので、そういう会合に出るのも仕事のうちと考えて出てみた。
集まってきたのは、ほとんど同年代か、少し上の世代(公務員を退職して資格を取った人たち、とか)ばかり。役員さんもたくさん来ていたのだが、彼らのほうが世代的には若い。

新入会員はみんな仕事がないのだった。オレだけじゃなかった。

安心している場合じゃないが。
ポスティングを再開した。継続は力なり。
2,3時間のポスティングで13,000歩くらい歩く。からだにもよい。
母親が病院を行ったり来たりするようになって、ジョギングをしている余裕はなくなった。ウォーキングを兼ねたポスティングだ。

プラス、薪にするための柿の木探し、というのも兼ねている。だけど、薪ストーブの家が増えたのか、タイミングを逸したのか、これといったヤマに出くわしていない。一石三鳥はいうほどやさしくない。

2011年2月3日木曜日

Winterland 1974:70年代の先にあったはずの80年代

あるときふとアマゾンのG・デッド系をながめていると、"Grateful dead movie(DVD)" の中古が格安で出ていた。うむ、これは、今しかないとさっそくゲット。
あらためて、1974年のG・デッドだ。"wall of sound" の維持が次第にバンドの財政を苦しめ、バンドはwinterland でのショー(10月16日から20日)を最後に活動停止を宣言していた。

そのwinterland では、このあと76年11月に "Last waltz" があって、78年大みそかに閉鎖だ。そういう流れの中で、このライブは、まだ「はじまりの終わりがはじまる前」だったのかもしれないと思わせる。
(ロビー・ロバートスンの「ラスト・ワルツ」についてのコメントはたしか「はじまりの終わりのはじまり」だっけか? どっかにビデオテープが転がっているはずだが…)

Winterland は、イメージとしては、むかし岐阜市内にあった「岐阜市民センター」に近いのかもしれないと思う。
ローカルな話題で申し訳ないが、市民センターのアリーナは、ローラースケート場になっていて、そのまわりを客席が取り囲むというアリーナ型式の会場だった。たぶん3000人くらいは入れたのではないのではないか(Winterland は5000人くらい)。
キャロルをやめたあとの矢沢永吉がよくコンサートをやっていたし、プロレスの会場としては最適だった。Fleetwood Mac が "Tusk"ツアーで日本に来たとき、ここでコンサートをやって、確かライブ盤にも収録されていたはず(音はひどかったね)。

映画では、その Winterland のアリーナに仮設舞台を組んで、ビティを建て、スピーカーを積み上げていくシーンも入っていた。何十個もの小さなスピーカーをマウントしたボックスはロープと滑車でつり下げていく。うーん、大変そうだ。

客の背の高さくらいある舞台。客席中央上部に君臨する巨大なミラーボール。舞台の袖で火を吹いている花火職人(バンド公認の火吹き男だ)。舞台に上がって勝手に踊っていると思えるヒッピーのオネエサン。そしてときどき見え隠れする小屋主のビル・グレアム。
おもしろい。これが1974年だ。

70年代と80年代は、どこで、どうやってつながっていたのか。
ぼくの知っている70年代は、ぼくの知っている80年代とぜんぜんつながってないように思えるのは、なぜなんだろうとずっと考えていたけれど、答えがどこかに転がっているわけでもなく、たぶんそういう齟齬感を誰かにうまく伝えることもできずに、ずっと胸の奥の方にかかえたまま、日々を生きていくのだろうななどと考えながら、1974年のデッドのショーを見ることは悪いことではない。

One cat night:今週の歌

朝寝するわれの呼吸と腕に抱く猫の寝息が寸時重なる / 小田部雄次 (今週の朝日歌壇から)

猫の手も借りたいほど寒い日が続く。
わが iPod nano には、"Three dog night" のベストアルバムが入っている。もうとっくに忘れ去られたバンドではあるが、70年代初頭の中学生のころには、よく聞いたバンドではあった。
そのころはエルトン・ジョンだって聞いていたし、レオ・セイヤーも聞いた。文句あっか?

「三犬夜」。寒い夜は三匹の犬と一緒に寝れば、寒くないよ、という話から来ているらしい、ということだけはなんとなく覚えていた。

わがふとんには、一匹の猫がいる。文字通りへばりついて寝ている。「一猫夜」。

2011年2月1日火曜日

And life goes on:そして香川が…

代表が優勝したとたんニュースやバラエティがザックや李を取り上げはじめた。この前までサッカーのことなんて知りませんというような顔をしていたヤツらが、我が物顔でザック・マジックなどと解説をのたまうのを聞くのもうんざりだ。

香川の今シーズン絶望のニュースは、ブンデスリーガへの興味を一気に霧散させるほどの威力だった。長い目で見れば、彼にとってプラスだったと思えるようなことになればいいのだが。
ドルトムントは、香川のポジションにゲッツェが入って大暴れしている。個人には頼らないシステムだから、香川がいなくても、勝ち続けるのだろう。

長友がインテルに移籍して、韓国代表のアジア大会得点王がヴォルフスに来て、どうやらトーレスは期限ぎりぎりでチェルシーに移籍か、というような話でフットボール界隈はあいかわらずの大にぎわいが続く。

2011年1月24日月曜日

This weekend:マラカナンとデッドの60枚組ボックスセットと麻也君退場

その1.行政書士会の新年会という行事に参加した。円卓を取り囲んで、新人が集まってあれこれおしゃべり、みたいな感じで、まあ、それは想定のうちなんだが、席に着き隣の人と名刺交換すると、「多文化共生支援」とある。かっこいいなあ。名字は日本語だが、名前のほうはポルトガル語だった。
日系3世で13才のときに日本に来て、それからことばを覚えて、試験に受かったんだから、すばらしいね。
リオの出身で、マラカナンでベベット、ロマーリオのセレソンと、マラドーナが対戦したゲームを生で見た! と言うのだった。おお。なんと。それからしばらくサッカーの話を。

その2.デッドのサイトから新発売のお知らせが届く。今度は72年のヨーロッパツアー、全22公演をすべて収録した60枚(+α)ボックスセットだ! 予定価格は450ドル! うーん、と悩むこともできず。ウィンターランド77年の9枚セットだってなかなか買えないのに。
全世界で7200セット限定。キミは本物のヘッズになれるか!

その3.アジアカップはQFで、ぼくたちの代表はカタールに何とか勝ってSFへ。日本の10番香川はやっとゴールを決め、麻也君は退場に。香川と本田のコミュニケーションがうまく取れていないような気がしてならない。次のゲームでは、それも解消しているといいが。

その4.実家の玄関のカギがこわれて、交換にいく。敷居が沈んでいて、戸が傾いていたので、カギの位置の調整に少し手間取ったが、うまくいった。まるで便利屋みたいだね、とおふくろに言われて、いえ、便利屋なんですと答える。

その5.トマス・ピンチョンの「メイスン&ディクスン」を読みはじめたが、まるで時代小説のような文体になかなかなじめず、ついに期限が来て、図書館にお返しした。こんなに漢字が多い文章を読むのもひさしぶりだったし、今は死語になっているようなことばがふんだんに散りばめられ、柴田先生のお遊びにも、今回はちょっとついていけなかった。
ま、いろいろ忙しくて、という言い訳もなんだかむなしく。
でもこりずに、バルガス=リョサの長編を借りてくるのだった。

2011年1月19日水曜日

Whipping post:ドゥエイン・オールマンが動いていた!

Wolfgang's vault のトップページで、動画をいくつか見ることができる。前には、Delta spirit というバンドのビデオを見たが、おもしろそうなバンドだった。
ちょっと前に Iron & wine というグループ? のビデオの案内が来て、見てみた。よく読むと、Iron & wine というのは、Sam Beam というシンガーのユニット名で、そのビデオでは、女性ボーカルと何曲か一緒にずっとデュエットしていた。ギターがうまくて、歌がうるさくなくて、好みかも。調整室のないスタジオで、歌っているのだが、サムさんはマイク1本で、歌と生ギターを録っていた。いい感じね。

で、その下の方に、"Whipping post" をやっている Allman brothers band の、古い映像があるわけだ。詳しいクレジットはなかったが、ドゥエイン・オールマンが、ギターを弾いているのだから、その時代のものには違いない。
今では、デレク・トラックスの叔父さん、という方がわかりやすくなってしまった、ブッチ・トラックスも、ベリー・オークリーも、ディッキー・ベッツもいるのだった。おお。

いまどき、You tube で探せば、そんな映像は簡単に見られるはずだけど、あんまりそういうことをしたことがないぼくには、初めての、動くドゥエインだったわけで。当たり前のことだけど、みんな若いわけで。

以前にも書いたことがあると思うけど、"At Fillmore East" は、高校2年の夏休みに毎日聞いていたレコード。裏ジャケットに写っていたローディたちを見て、オレは日本一のローディになるのだ、と決心したのだった(というのは真っ赤なウソだが。まあ、それなりの意識はあったことは確かね)。

グレッグ・オールマンとドラムスのふたりは今も、Allman brothers band をやっている(はずだが、調べても確かな情報が出てこないのでごめん)。そのバンドでギターを弾いているのは、デレク・トラックスと、ウォーレン・ヘインズなわけで。

一時 Allman's でベースを弾いていたアレン・ウッディ(ウソくさい名前だな)を追悼するコンサートのライブのことはこのあいだ書いた。
そこにどうして North Mississippi Allstars が出ていたかというと、ガバメント・ミュール(W・ヘインズのバンド。あちこちでバンドやっているから、この人はややこしいぞ)の前座で NMA がツアーに出たとき、ウッディがベースを弾いていた、ということらしい(ライブのコメントから推測すると)。

2011年1月17日月曜日

No amazon,no google,no apple:キミは生きていけるか

先日の新聞の記事から。電子書籍の制作者のことば。
ぼくはたぶん無理かも。何ヶ月もすれば、そういう生活にもだんだん慣れていくのかもしれないが、まずgoogleの検索がなくなったら、かなり困ると思う。他の検索はもう何年も使ったことがない。

iPodがなくても、まあ、たぶん生きてはいける、と思う。そんなに依存はしていない。iPhone も iPad も持っていないから、その辺はだいじょうぶだし。
息子が新しい iPod を手に入れて、今まで使っていた nano が突然ぼくのところにやってきた。8Gだってさ。おい、そんなに何を入れればいいんだと途方に暮れる。とりあえずPCに入っている楽曲を手当たり次第に入れてみたが、4Gにもいかなかった。
そいつをシャッフルにしてみる。もう何を入れたのか覚えていないので、そのシャッフル感は、ほぼ無限の大宇宙に浮かんでいるような感じ。
小さなディスプレイにアルバム・ジャケットがあらわれるのを、テレビを初めてみる子どものように見つめている。

アマゾンのサイトはできるだけ見ないようにしているから、だいじょうぶ。でも、知らないうちに MP3 で、ダウンロードできるようになっていたね。DLは、もう少し安くなって欲しいな。

では、キミは no sony で生きていけるか?
そりゃ無理だ。うちはテレビもスカパー!チューナーもソニーだもの。
ソニーのリーダーという新しいおもちゃはちょっと気になっているけど、まだ現物を見たことがないので、何とも言えず。

2011年1月9日日曜日

Money in heaven:本物のワルは誰か

木村元彦の「天国と地獄」を読む。正確には「大分トリニータの15年/社長・溝畑宏の天国と地獄」というタイトルだ。
内容はタイトルそのままだ。大分のチーム結成から現在までを、自治省のキャリア官僚だった溝畑を中心にあらためて語り直すという、とても刺激的な本である。

親会社、メインスポンサーのないチームをどう運営していくのか、そういう意味で、とても勉強になる。Jリーグを見ている人は、ぜひ読んだ方がいい本だと思う。

大分のメインスポンサーはかつて「朝日ソーラー」「ペイントハウス」「マルハン」がついていた。後ろふたつは大分県でも、九州でもない地区の企業だったところに、社長溝畑の営業力が示されるわけだが、それぞれの企業は、言ってみれば「成り上がり」である。
朝日ソーラーは、強引な営業展開で、国によってお取りつぶし寸前まで追いこまれ、ペイントハウスは、社長が体調を壊して崩壊した。マルハンはパチンコ企業ということで、リーグから締め出しを食った。

以前にも書いたことがある。地獄を見なければダメなのか、と。
地獄を見たやつだけが、生き残れるのだ、という経営者の哲学のようなものも、いつもどこかで見かける。
だけど、テーマの立てかた、夢の見かたにそもそも問題がなかったか。大分のサッカー協会も、地元企業も、まるで反応しなかった、チーム立ち上げのときに、「世界に通用するサッカークラブを作る」という夢は、賞賛されるべきものであったのかどうか。

個人の力が世界を変える。そうかもしれない。
夢を持ち続けた者だけが、生き残ることができる。そうだろうか。
夢がなければクラブチームは作れないのか。

木村さんはもともと溝畑には批判的であった。そういう文章を以前にいくつか読んでいた。だけど、この本では、本当の悪者は別にいるのだと書いてある。それは読んでのお楽しみとしよう。

2011年1月2日日曜日

Asi es la vida:人生とはそのようなもの

今年の最初の「バロックの森」は、オールバッハプログラムだった。アネル・ビルスマの無伴奏チェロは、ゆったりして、力強くなく、とてもよかった。MCの大塚さんがチェンバロを演奏しているヴァイオリンとチェンバロのためのソナタもよかった。番組の4人いるMCの中で、大塚さんが一番気に入っている。よけいなことを言わないからだ。大塚さんの演奏の入ったアルバムを今度ちゃんと聞いてみようと思う。

少し前に買った寺神戸亮のアルバムもとてもよかった。ビーバーのヴァイオリン・ソナタ集だ。ヴァイオリンの音がこころにしみ通り、からだがふわっと浮きあがるような、不思議な浮遊感が気持ちを落ちつかせてくれる。
この人はラ・プティット・バンドのコンサート・マスターだった(1994年当時)ということを、アルバムの解説を読むまで知らなかった。
ラ・プティット・バンドは、今年日本に来るので、見たかったが、ブランデンブルグ全曲演奏なので、やめた。もう少し音数の少ない曲をやって欲しかった。

暮れに母親が入院し、一度退院して、3日には再入院。父親の方も、5日には検査入院することになった。このところ毎日病院へ行ったり、買い物したりで、一日が終わっている。掃除もほとんど何もしていない。
今後どういう展開になるのか、さっぱりわからない。いよいよぼくたちにもそういう時期がやってきたのだ。じたばたせず、受けいれていくしかないよね。
おーっと、6日には、自分も病院へ検査に行かなくちゃならねえ。