2015年2月15日日曜日

死んでしまったもの:Hiphop Tokyo


都築響一の「ヒップホップの詩人たち Roadside poets」という本を読む。

「テレビから垂れ流される音楽がこんなにも腐敗してしまったいっぽうで、これほど純粋に青くさい音楽が、東京の大手レコード会社や広告代理店の会議室から遠く離れた、日本の片隅で次々に生まれていって、それを聴くことで救われる子どもたちが間違いなくたくさんいること。だから死んでしまったのは音楽ではなくて、音楽業界でしかないこと。」
(「あとがきにかえて」から)

なるほど。そんなことになっているとは。
CDが売れなくなった。レコード会社はやばいらしい。ラジオも誰も聞かなくなった。
そんな話はちらちらと聞くけれど、そんなことになっているとは知らなかった。
ラップやヒップホップと呼ばれるものが特に好きということではないけれど、そこで(東京以外の日本各地で)歌われている歌は、いまこのときにその人にしか歌えない歌なのだ、ということはよくわかった。

音楽業界が死んでも、ぼくは特に困らないけど。
でも、まあ、東京のシステムでつくられた音楽にも、地方でシステムに頼らずにつくられた音楽にも、いいものはあるし、ダメなのはもちろんいっぱいだ。



2015年2月14日土曜日

こどもたちのこどもたちのこどもたちへ:Child is father to the Man


なぜ鳩なのか、まだよくわからないのだが、佐藤正午の小説はおもしろい。 
少し前に、この新刊の紹介で、「ひとに読んでもらえない小説を書く意味はあるのか?」という作者本人のコメントを読み、驚いた。こういう作家でも、そういう悩みはあるのだなと。 
でもこの本を読んでみると、そのコメントは主人公である書けなくなった作家が言っている言葉で、作者本人は、「しばらく鬱で、半年ぐらい何も書けなかった」ということらしい。 
デッドと共演したディランのコメントみたい(客はデッドヘッズばかりだから俺は歌いたくない」)だが、誰にも悩みはあるものだ。 
佐藤さん、わたしは好きですよ。全部は読んでませんけど。今度「5を読んでみます。 


忙しいのがひと段落して、図書館で5冊も借りて、イッキ読みの最中。 
片山杜秀の「音盤考現学」はちょっと難しかった。NHK-FMの番組(クラシックの迷宮)でその名前を知ったのだが、カバーする範囲が広すぎて(番組も本も)ついていけず 

庭に生えていた木を100本近く切った。植えたのもあるけれど、ひとりでに生えてきたのもある。 
そもそもそこを庭と呼ぶのがふさわしかったどうかは、よくわからないのだが、まあ、ありがたいことにそういう広い土地に住んでいる。 
そして、100本の木を切った後、長男の家を新築することになった。 

100本のうちには、樹齢25年くらいの楠と欅とメタセコイアがあった。そんなもの、庭に植えるな、という庭師の忠告を無視した結果、我が家は原生林状態になっていた。 
3本とも、大屋根よりも高かった。切る前にお祓いをしてもらった。山奥で木こりをしているという人に切ってもらった。 
それ以外の木は、全部自分の手で切った。切った木は、薪にする。 


今さら何を、と言われても仕方ないのだが、いまだ喪失感から立ち直れていない。こどもや孫たちのために、必要なことをしているのだ、と納得はしているはずだが、うまくいかない。
もう少し時間がかかるだろう。