2012年10月26日金曜日

To say nothing of the dog:不思議な文体

多和田葉子の「雲をつかむ話」という最近の本を読んだ。
あいかわらずドイツが舞台で、誰が主人公、ということもなく、特にストーリーがあるわけでもなく、でもなんだかすいすい読んでしまう不思議な文体にはまったけれど、終わりまで来て???だったり。
どこがどう面白いのか、というような分析にはあまり興味がわかないけれど、こんな小説が存在する、ということだけでなんだか励みになります。

写真に写っているもう1冊はコニー・ウィリスの「犬は勘定に入れません」というタイム・トラベルもので、この前同じ作者の「ドゥームスデイ・ブック」を読んで、結構気に入ったので、その続編というわけ。
まだ途中ですけど。今度もイングランドのオックスフォードが舞台で、マップで航空写真など眺めながら、とつとつと楽しんでます。


2012年10月18日木曜日

sun rise,sun set:ぷらぷら自転車散歩


カメラ小僧ではないけれど、日の出や夕焼けの写真をときどき撮っている。スマホについているカメラなので、絞りやシャッタースピードをマニュアルで調整できない(できるのかもしれないが、よくわからない)。だから不思議な写真がときどきできあがる。そいつらをEvernote に並べておく。

美しい朝焼けに出会うためには、今は5時すぎには家を出なければならない。それなりに寒いし、真っ暗だ。それでも、近所の川や、長良川の堤防には、すでにウォーキングやジョギングをしている人たちがちらほら見えるし、夫婦ふたりで散歩している年配の方々(たぶん。暗くて顔がよく見えない)も見かける。
たいがいの人たちは、太陽が顔を出しても、あまり気にかけてない。別に太陽を拝めとは言わないけれど、もうちょっと気にしてやってもいいんじゃないかと思うときもある。

自転車に乗ってぶらぶらしている人はあまり見かけない。ツーリングは昼間にするものなのだ! と言われてしまえばそれまでだが、ぼくの場合はツーリングなんてものじゃなく、単なる自転車散歩なので、テールライトとフロントライトを点滅させながら、ぷらぷらと走っているのである。

いまから40年ほど前の、中学生、高校生だったころにも、夜中や明け方によく自転車散歩をしていた。基本的に朝方勉強パターンだったので、3時か4時ころ起きて、ラジオを聞きながら勉強の真似事をし、飽きてくると自転車に乗ってぷらぷら近所を走りまわっていた。

そんなわけで、そんなころによく聞いた音楽ばかりをどーんと集めて、iPod に入れ、シャッフルにして聞いてみた。
エルトン・ジョンや、3ドッグ・ナイト、ジョン・レノンやら、S&G、その他いろいろをとりまぜて聞いてみる。なんだかわからないが、ぜんぜんたいしたことがない。

ついでに入れてみたボニー・レイットの新作やルーマーの歌のほうにココロがうごめく。
ピアノだけをバックにボニーが歌う「God only knows」(ビーチボーイズの曲じゃないよ)がマジックアワーの薄闇には、よくあう。

Well God only knows that we can do
No more or less than he'll allow


2012年10月4日木曜日

Born to live:わたしには夢がない

行政書士会の研修に出た。「マーケティングを学ぶ」というテーマで、経営コンサルタントの先生が話をしてくれた。年商2000万の夢を持て、という。
最初は興味ぶかく聞いていたが、だんだん気持ちは離れていった。
なんといってもぼくには夢がないのだ。夢がなくても生きていける、というテーマをいかに実践していくか、日々つらつらと考えているような人間に、夢を持て、という講義は馬の耳に念仏、豚に真珠、犬に論語、のたぐいである。

自分の中での人生設計では、余生はあと15年くらい。
世界1周旅行も、ベンツも別に興味はない。(まったく何もないというのは、変でしょうといわれれば、ドイツのフースバル・シュタディオンめぐりには、行ってみたいという希望くらいはあるけれど)

死の床で自分は何を後悔するのだろうかと、ふと考えた。
「読みたかった本、聞きたかったレコード、見たかった映画」。
ラストソングは何にするか、真剣に悩んだりしているが、たぶん仕事のことは何も考えないだろうと思えるほど確信的に浮かんでくる。

自分の、仕事に対する基本のコンセプトのようなもの、を書き出してみた。
*楽しんでやること
*手を抜かないこと
*人と違うことをする
*考えすぎないこと

最後の「考えすぎない」というのは、仕事がなくても考えすぎるな、というようなことかもしれないし、まあ、あってもなくても、ほどほどに仕事をして、ほどほどの暮らしをして、ほどほどに死んでいくのがいいのではないか、というようなことだ。
そういうレベルでいろんなことを考えたいと思っている。

「自分は死ぬまで生きるために生まれてきたのである。それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。」
たらちね国際大学の桑潟幸一準教授はそう語るのであった。ザッツ・ライト。(奥泉光「桑潟幸一準教授のスタイリッシュな生活2・黄色い水着の謎」より)

(この文章は仕事のサイトのために書いたけれど、結局ボツにした。新たに営業スマイルを持って書きなおしたが、どこがどう違うのか、誰にもわからないだろう。
58才、大阪のドラマーの死は、確実にいまの自分をゆさぶっている。
「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」という話なら、もう少し肯けたろうけど、すこし残念だ。)


2012年10月3日水曜日

Spring has come:ボックスセットがやってきた


9月23日、午前中は雨で、外で仕事をすることもなく、寝っ転がって本を読んでいると、玄関のチャイムが鳴った。
郵便局の人が段ボールをかかえて玄関に立っていた。

そうやって Spring 1990 Box は、やってきた。
ケンタッキー州の Shepherdsville というところから(CDの実際の製作は Rhino records だから、そこの工場かなにかなのかな? 地番をマップで見ると大きな建物が写っている)、ドイツ経由ではるばる日本まで、かかること23日。なんでやねん、と突っかかりたい気持ちを押さえて、郵便局の人にお礼を言う。
実はその日の朝、Dead.net のカスタマーセンターに、まだ届かないんだけど、どうなっている? というようなメールの下書きを書いたところだった。

北米以外の国には、DHL Global Mail Service というので、だいたい2週間ぐらいで届く、とサイトには書いてある。
DHLはもともとサンフランシスコの運送会社だったのが、ドイツ郵便に買収されて、今はドイツ系なのらしい。そういうことも調べた。
で、段ボールに貼りつけてある送り状は、ドイツ語なんですよ。うーむ。
なんで、そういうのを、日本郵便が配達してくれるのか、そういうところはぜんぜんわかりません。ネットで調べた限りでは、DHLの荷物は、国内ではヤマトが扱っている、なんて書いてあったし。

ケンタッキー州を出た段ボール箱が、大西洋を渡り、ドイツのフランクフルト空港あたりに(まあ、たぶん)しばらくとどまって、そこから極東へ向かう他の荷物と一緒に成田か、どこかにやってきて…

ま、いいんです。届いたから。なんの問題もありません。
といいたいところだったが、18枚あるCDのうちの1枚が、半分くらい割れていて、CDプレーヤは動いてくれない。
うーむ、む。

で、また、カスタマーセンターにメールした。Google の翻訳の助けを借りて、メールを書いた。
代わりのCDを送ってくれるらしい。うれしい。でも、当たり前か。
"I appreciate your quick response. "
なんて書いてお礼のメールも送って。
これでCDが届かなかったら悲しいけれど。

デッドの演奏はもちろん、言うことなしです。
人によって好みはわかれるだろうけど、80年代後半のデッドが、個人的には大好きだということが、最近よくわかってきたので、このボックスは、宝物のようなもの。
56才にして、宝物をひとつゲット。うれしい。