2017年3月30日木曜日

ミルウォーキーの雪

先週 Garcia live の 最新シリーズ vol.8 をゲット。11/23/1991,Milwaukee,WI での Jerry Garcia Band live 2CD set だ。
Melvin Seals と David Kemper のいる最強JGB時代のもの。
音源はいまはもうストリーミングで聞けるので、CDをゲットする必要はなかったが、おまけのポスターに目を奪われ、おまけともどもゲット。ポスターは日本のB2をひとまわり小さくしたサイズで、シルク印刷したもの。限定500枚で、シリアルナンバー(版画の場合はなんて言うんだ?)385/500と入っている。作者Pete Schawのサイン入り。
30ドル(送料別)だから、そんなに高いものではない。紙の筒に丸めて入れて送られてきた。

91年11月のその日、ミルウォーキーには雪が降ったようで、ポスターは(CDのジャケットなどにはこのイラストはつかわれていない)、ミルウォーキーの街のなかを歩く Jerry の後姿を描く。

この日バンドはアンコールをやらなかった。リヴィング・ルームでのintimateな演奏に、アーティスト対観客の関係性をもちこみたくないからアンコールはいらないという、Jerry の考え方によるものらしい。

ミルウォーキーはドイツ系移民が多く、ビールや食品の工場が多い。ビルの上に漂う煙突の煙が奥行きのある不思議な空間へといざなう。


2017年3月20日月曜日

分厚い本その3

吉本隆明と松浦寿輝の本を借りる。
吉本の本は晶文社から出ている全集の第3巻、「1951-1954」である。全部で800ページ余、ほとんどすべて詩である。何篇くらいあるのか数えるのも大変そう。この時代、吉本は20代後半。東洋インキ製造という会社に勤めていた。すぐにやめたようだが。ここに収録されている詩のどれくらいが、当時公開されたのかよくわからないが、全集の基本方針として、吉本が書いたものをすべて年代順に収録する、というものなので、未発表のものも多数あるようだ。

読んでも詩の中身はよくわからない。だけど圧倒的な文字の量、言葉の海。すばらしい!
全集は全38巻の予定で、現在は12巻まで発行済。怒涛の全集。全巻そろったらどれくらいの長さかな。図書館に並べるスペースはあるのかな。

松浦寿輝の「名誉と恍惚」は800ページ弱の長編小説。残念ながらこの人の小説はまだ読んだことがない。
この前の舞城王太郎のときもそうだけど、いきなり長編からいくなよ、最新刊からいくなよ、という声もあるが、まあいいのだ。最新作がいつも最高傑作だ、という人もいる。楽しみだわい。

前にも書いたかもしれないけど、分厚い本が好き。なんといっても、その恐るべき言葉の量にまず平伏するのである。その長さと量に必然性はあるのか、編集者は納得しているのか、校正者はうんざりしてないか、印刷屋は放り出してないか、製本屋は腰を痛めてないか、そんなことお構いなしに、堂々とこの分厚さ。エライゾ!
さて枕にして昼寝するか。



2017年3月14日火曜日

Stones vs Dead

ストーンズとデッドと、両方でツアーマネージャーをやっていたというサム・カトラーの本を読む。「オルタモントの真実」というタイトルで2011年に日本で出版。原題は「You can't always get what you want」で2010年のもの。
ロンドン郊外で育ったカトラーがピンク・フロイドの事務所に入ったのが67年、24歳。
69年7月のストーンズのハイドパークでのフリーコンサートの現場責任者になる。コンサートのオープニングでMCを務めているのがカトラーだ。
69年10月からのストーンズ全米ツアーに、ツアーマネージャーとして同行する。西海岸でのプロモーターはビル・グレアムだ。オークランド・コロシアムのステージで、カトラーとグレアムは開場後のステージ上で殴り合いのけんかをする。
(ビル・グレアムの伝記によれば、つかみ合いになったのは開演後「サティスファクション」の演奏中。ビル・グレアムの伝記を読んでいると、ビル・グレアムとストーンズサイドと、ともに相手を「アマチュア」呼ばわりしているところが面白い。さてどっちが田舎もん、なのか)

ストーンズの公演のチケット代は高すぎるという批判が出て、お返しに西海岸でフリーコンサートをやろう、という話が出てきた。カトラーはストーンズ側の代理人としてサンフランシスコに出向く。フリスコ側の交渉役はデッドのマネージャーだったロック・スカリー。
コンサートの運営はデッド・オフィスと、「ディガーズ」というフリスコのイベント企画集団があたることに。
ところが、デッド・オフィスには責任者がいない。表向きはミッキー・ハートの父親、レニー・ハートがマネージャー、ということになっているが、事務所の方針は、デッドのメンバーやスタッフのミーティングですべてが決まるようだということにカトラーが気がつくのに、時間がかかる。
ストーンズの最終意思決定者はもちろんミック・ジャガーだ。

ミックは「ストーンズのフリーコンサート」にこだわった。
ストーンズ、デッド+フリスコサイドに、なぜかウッドストックのプロデューサー、マイケル・ラングも加わって、話はさらにややこしくなる。コンサートは12月6日と決まったのに、4日前になってもまだ会場が決まっていなかった。

コンサート会場がオルタモント・スピードウェイに決まったのが前日。客が集まり始め、粗悪なLSDをばらまいている怪しげな男たちも登場。
本番当日。出演時間を繰り上げたストーンズのステージが始まるころには、言い出しっぺだった人物や、オーガナイザーとして動いていた人物たちが、現場から姿を消した。デッドは会場に着いたものの、あまりの雰囲気に驚いて、そのまま演奏せずに帰ってしまった。(ビル・グレアムの伝記には、「マネージャーが殴られて、デッドは引き返した。その日、フィルモア・ウェストでのライブの予定があったがそちらもキャンセルした」)

コンサートのあと、ストーンズはそのままロンドンに戻り、カトラーだけ現場に残された。
ボロボロになったカトラーを自宅にかくまったのは、ジェリー・ガルシアだった。それから4年ほど、カトラーはデッドのツアーマネージャーとして働く。
70年6月。映画「Festival express」として記録に残っているカナダツアー。初日のトロント公演には、ただで入れろ!という客が殺到して騒動に。ウッドストックは悪い前例を作ってしまった。
「フリー」という言葉がひとり歩きして、音楽はただであるべきだと主張する人たちがあちこちに出てきた。そしてデッドは、フリーの音楽を供給してくれるバンド、とみなされた。
74年、カトラーは請負金額のことでデッド・オフィスともめてツアーマネージャーをやめた。

ウッドストックのあと、体制側は数十万人の若者が集まる「フリーコンサート」を警戒し始めた。ストーンズのフリーコンサートをなんとかつぶそうという動きがあってもおかしくなかった。
一方、ヒッピーたちはウッドストック以後、コンサートは無料でやるのが当たり前、という呪縛にのめりこんでいったのではないか。
グレース・スリックのコメント:ウッドストックは泥にハマったナイーヴなまぬけどもの集まり、そしてオルタモントは、泥にハマった怒れるまぬけどもの集まりだったのよ。(「ビル・グレアム/ロックを創った男」より)



2017年3月9日木曜日

分厚い本その2

「ディスコ探偵水曜日」終了。ふー。
舞城王太郎入門編としては適切ではないという声もあったが、いまさらなので、突破を試みてはみたが、やっぱり人の言うことはちゃんと聞くべきなのかも。
SFとファンタジーとミステリーの合体のような、全然別物のような。

ネットのブログで感想を集めてみた。

・変わった本が好きな人、ヘビーな本を避けずに真っ向からぶち当たりたいというチャレンジ精神旺盛な人が読めばいい本だと思う。

・さらには展開の変化に呼応してぶち込まれる要素が、ミステリー、SF、アクション、哲学、精神世界といった具合でとんでもなく多岐に渡っていて、これまた凄まじいこと。よくまあこれだけ詰め込んで物語がバラバラに破綻しないものだと、いい意味で呆れてしまいました。それらを繋ぎ合わせて渾然一体の輝きを見せる事を可能とさせているのはその独特の文体であり、これぞ舞城王太郎なんですよね。

・初めての舞城王太郎がこの本ってのは、ちょっと・・・・。
舞城作品に耐性ができてから読んだ方がいいと思う。

・というわけで、本作をきちんと理解できていない僕には、本作の凄さを伝えることはなかなか難しいですが、とりあえず凄いです!もう、凄いとしか言いようがないです!でも、僕にはちゃんとは理解できませんでした!っていうか、この物語、ちゃんと理解できる人ってどれぐらいいるんだろうなぁ。

・人には全くおすすめしません。だって読むのえらい大変だったから。俺は舞城作品を結構読んでたから完読できましたが、慣れてない人は推理ラッシュの途中でブン投げると思います。

・勢いはあるしテーマもあるけど文章が汚い!

まあだいたいこんな感じです。はずれていない。

先週の二葉亭四迷に続いて、国木田独歩に挑戦。明治の人たちはどうやって自分たちの文体を作ったのか、その秘密を少しでも分けてもらおうと思って読んでみるけど、よくわかりません。
小説としての面白み、みたいなものがどこにあるのか、いまひとつ理解できず。「ディスコ」と併読では、それは無理かもしれぬが。