それから鷗外の小説を日本語の現代語訳にしたものを読んでみた。「舞姫」や「うたかたの記」など。
「舞姫」に出てくるエリスには、モデルがいて、鷗外が日本へ戻った後を追って、日本へやってきた。それは「坊ちゃんの時代」という漫画で読んだ。エリスのモデルになった人については最近まで、謎だったらしい。
それをつきとめた六草いちかが書いた「エリスの真実」が図書館にあったので読んでみる。
鷗外は外国文学を日本にたくさん紹介したが、その量は村上春樹に匹敵する、というようなことを柴田元幸さんがどこかに書いていた(柴田さんの仕事量も半端じゃないけど)。
そうか、そういうひとだったのか。
「鷗外と漱石のあいだで/日本語の文学が生まれる場所」という黒川創の本も読んでみた。台湾や中国の近代文学の誕生に鷗外と漱石の果たした役割は大きい、というような話だ。
Elise Wiegertは1866年、現在はポーランド領の都市シュチェチン生まれで、鷗外と出会ったときは20歳。
日本への旅費は誰が出したのか、日本滞在のひと月のあいだに何があったのか、帰りの旅費は誰が負担したのか、エリーゼは帰ってからどうしていたのか。
エリーゼさんは、ベルリンでふたつの戦争を生きのび、1953年に86歳で亡くなったということだ。
鷗外の娘は茉莉(まり)と杏奴(あんぬ)だが、どちらもエリーゼの親姉妹の名前だという。
「エリスの真実」の作者六草さんは、鷗外が「舞姫」に何を書いたのか、ではなく、なぜ書いたのか、に興味があったと書いている。なるほど、そういう読み方もあるのだ。
鷗外がベルリンでエリーゼと一緒に暮らしていた家があった地区は、戦後東ベルリンになった。日本人が壁の向こうへは簡単には行けなくなって、「真実」がなかなか見えてこなかったということもある。