2012年9月14日金曜日
Peace song:LP復活
LPでしか持っていないアルバムはまだまだたくさんあって、そのうちCDか、ダウンロードで手に入れようと考えてはいるけれど、新しいレコードにだって当然興味は行くので、いつまで経っても古いレコードはLPのまま、いつの間にか地袋の中に収められてしまっていた。
でも、ときどき、どうしても、やっぱり、聞きたい、というレコードがあるのだ。文句なしに。
先日のピーターさんの番組で、ひさしぶりに Jesse Colin Young のライブを聞いた。「On the road」という77年のレコードだ。A面3曲目、「Peace song」のベースラインが、頭から離れなくなった。どうしてもレコードを聞きたくなった。
LPプレーヤーは、実はまだ動くのである(30年以上前に買った)。アンプも健在(こっちは25年くらいかも)だ。でも、セットはしてなかった。家庭内引っ越しのときに、LPは重いから、2階まで上げるのがうんざりだったのである。だから、地袋の中に隠した。CDを買え、ダウンロードしろと自分に言い聞かせた。
でも。やっぱりLPはいいのだ。物置にあるベニヤなど適当に組み合わせて台を作り、セットする。プレーヤーの針を乗っけたり、上げたりは面倒だけれど、やっぱりでかいジャケットを手に持って、音楽を聞く、というのは、からだに染みついてしまった感覚である。
ジェシコリ(とぼくらはとうぜんのように呼んでいた)のあと、John Hiatt/Bring the family,Neil Young/Old ways,James Taylor/JT,Eagles/One of these nights など、止まらなくなる。
Nocturnes:シンガーソングライターは嫌われる
カズオ・イシグロの「夜想曲集」という短編集を読んだ。
カーヴァーを思わせるような、シビアでしかも滑稽な話とか、音楽にまつわるいろんなシチュエーションをうまく切り取った短編が並んでいる。
「モールバンヒルズ」という話には、シンガーソングライター志望の若者と、ドイツやオーストリアなどのレストランや街角で演奏をしている夫婦が出てくる。
若者はロンドンでいろんなバンドのオーディションを受けるのだが、自作の曲をやるとみんなそっぽを向いてしまう、というエピソードに笑った。きっとそういうものなんだろうな。
隣に並んでいるのは集英社の「コレクション戦争と文学第2巻ベトナム戦争」。小田実や開高健、吉岡忍、辺見庸、村上龍など、むかしよく読んだ人たちの短い作品が並んでいる。
読んでみると、なつかしい。こういう作品に対して「なつかしい」という感想ですませてしまうことには抵抗もあるだろうが、それなりにこの人たちの文章を読んできたのだということを、ただなんとなく確認したかっただけなのかもしれない。
2012年9月7日金曜日
In dreams:そこに物語はない
#8月25日の朝日新聞朝刊の「オピニオン」に、宇野さんと、小池さんというともに78年生まれのふたりが、「オウムは終わったのか」について、意見を述べていた。
ちょっと長いけど引用する。『宇野常寛/自分と世界結ぶ「革命」の限界』より
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そもそも現代における社会正義とは、現体制の枠内で社会システムの効率と公平さを追求することです。これは「革命」のように、それに参加する一人ひとりの人生を意味づけ、高揚させてはくれない。そこには「物語」がないからです。
たとえば日本の反原発運動も「原発で一部の集団が得る利益に比べ、国民全体が被るリスクが大きすぎる」ことへの異議申し立てで、究極的には効率や公平の問題と考えられますし、だからこそ比較的広範な支持を得ていると僕は考えています。逆に、僕は反原発運動に資本主義批判など旧来の左翼思想的な物語を持ちこめば持ちこむほど支持を失うと考えています。
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はあ、なるほど。そういうことだったんですねえ。
*今朝夢を見た。20年前、いつも一緒に遊んでいた仲間だったふたりが、夢の中に現れた。ぼくらはあのころと同じように、酒を飲んだり、音楽を聞いたり、まあ、そんなようなことをしていた。
猫に起こされて目が覚めた。ふとんの上でしばらく呆然としていた。ぼくは彼らをほんとうに失ってしまったのか、それともまだ…
ぼくらのやったコンサートに意味づけはなかったし、物語もなかった。
(そういうことをちょっと確認しただけです。自慢するようなことでもないです。)
でも、あいかわらず、そんな「物語」にあふれているコンサートが多すぎるような気がするし、「これであなたは変われる!」みたいなノリのコンサートが多いような気がする。
(気がするだけで、そうなのかどうかはよくわからないが。もうずっとコンサートに行っていないので。)
あれは、あのコンサートは「夢」じゃなかったし、「物語」は持ちこまなかったし、「過剰なほどの自己変容への欲望」でもなかった。
単なるコンサート、だった。
#一方の小池龍之介さんは、
『本来、仏教は「人生や自分の存在に価値などない」と説く。現実認識で、冷徹さがある。』『自己実現や生きる意味を探す人はまだまだ多い』と言っている。
松本人志も言っているように、「自分探しなんてやめたらええねん」。
探しても見つからないものを、見つけようとするから、訳のわからないものにひっかかるんじゃないの?
ちょっと結論の見えない展開になっちゃいましたね。要するに、言いたいことなど特にないんです、どっちみち。
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