2015年4月30日木曜日

クロップの呪い:Magic time

ドイツカップ準決勝、バイエルン対ドルトムントはPKでドルトムントが勝った。
ラームとシャビ・アロンソが軸足をすべらし、ゲッツェのキックはキーパーがはじき、4人目ノイアーはバーに当てた。
なんと。ホーム・スタジアムで二人つづけてミスキック。
これを「クロップの呪い」と言わずなんという?

ノイアーの蹴ったボールがバーに当たった瞬間、ベンチを飛び出したクロップは誰よりも早くゴールマウスまで到達。跳びはねてはしゃぎまくるクロップは、あのクロップだった。この姿がドイツのリーグでもう見られなくなると思うと本当にさびしい。
来シーズンはどこにいるのだろう?

ジェラードのいなくなったリバプールにあらわれるという噂もあるみたいだけど… エーッ!?
ドイツカップ決勝は5月30日、ヴォルフスブルクと。クロップ有終の美を飾れるか?

2015年4月22日水曜日

誰が待ちのぞんだか?:intimacy


古楽になぜ惹かれるのか考えてみた。
キーワードは「親密さ」じゃないだろうか。
その時代、器楽曲の作曲家は基本的にまず演奏家だった。自分が演奏できる楽器で作曲する。印刷された作品集は、まずヨーロッパ各地の演奏家たちが買った。
じっさいにそれぞれの曲が譜面のように演奏されるとき、そこにいるのは、演奏家を雇っている貴族とその家族、その取り巻き、家来ぐらいではなかったか。数にすれば20人から多くて50人くらいか。

バロック後期は、絶対主義の時代でもあるので、フランスなどでは国王の宮廷にはもっとたくさんの人が集まったかもしれない。
あるいは王立の歌劇場などもあったので、そこには数千人の観客が集まったかもしれない。そこで演奏されたのは主にオペラだったが。

ライプチヒの楽長時代、コレギウム・ムジクムという演奏団体を率いたバッハは、「カフェ・ツィマーマン」(Zimmermann は「大工」、ちなみにボブ・ディランの本名でもある)というコーヒーハウスで、協奏曲などを演奏した。その時の客はやはり多くて数十人というところではなかったか。
コレギウム・ムジクムにしても、おそらくおおくて10人くらいのグループではなかったか。ドイツでは、教会以外に市民が集まって演奏を聴くという施設はまだなかったと思う。

ハイドンやモーツァルトの時代になると、交響曲がうまれ、職業作曲家がうまれ、音楽ホールが生まれる。演奏団体もメンバーが多くなる。
そして演奏家と聴衆との親密さは失われていく。

コレルリがトリオソナタを書いていた17世紀の終わりころ、彼の曲を誰が待ちのぞみ、どういう人たちがその演奏を聞き、どんな場所で演奏されていたのか、もっとよく知りたいと思う。

2015年4月20日月曜日

時計は3拍子?:TRPP Q SCHOUS

「英語で読むムラカミ」は、4月から講師が変わって、スタイルも2年前の沼野さんのかたちに戻った。まったく同じ進行にしなくても、とも思うが、去年の新元さんのスタイルよりは断然いい。きっと、苦情が殺到したのだろう。
今回は「TVピープル」を読んでいるけれど、英語訳者が変わったこともあって、また新しい発見がてんこもり。

最近の時計は音がしない。25年前(作品の発表は89年)はどうだったか。日本語では「チクタク」が、まあ、ふつうのオノマトペか。(英語では"tick tock"? ほんとかな?)
それが3拍子で表現されて、現実から異世界へふわっと飛んでいく。
なるほどなあ、魔法の呪文はこんなところにあるのだ。



チャイナ・ミエヴィルの「言語都市」を読む。
ル・グィン絶賛のSFだが、はっきり言ってわかりにくい。
映像では決して表現できない世界(なんといってもテーマは「ゲンゴ」だ)を、英語から日本語にうつしかえているので、わたしのような想像力のとぼしい読み手には、敷居が高い。でも、最後まで読んだ。

「小さな街から逃げだした人びとのあいだでかわされる古典的な暗黙の了解―ふりかえるな、おたがいの重荷になるな、なつかしく思うな。」(80p)
ここにテーマがあるとは思っていないけど、なんとなくそこに付せんをつけた。

英語やドイツ語を書くときは、どうして単語を離して書いて、日本語はくっつけて書くのだろうと、さいきん疑問に思う。
正確な翻訳などありえないのに、それでも言葉をうつしかえ、なんとか世界を共有していく。
それってすごいことだなあ。

2015年4月17日金曜日

気品と格調:Arcangelo Corelli


「バロック音楽」。初版が1972年。高校生の時に買って、読んだ。でも、あんまり理解できなかったと思う。
10年ほど前、近所の図書館で廃棄本の配布をしていて、そこに並んでいたのをもらった。
それから、またずっと本棚の奥に立ったまま。40年以上前の本じゃ、書いてあることも古いんだろうな、と。
きのう、何気なく手に取ってみると、書いてあることがよくわかるのである。基本は何も変わっていないのである。
最近では「バロック」より「古楽」と呼ばれることが多くなり、使われる楽器も「ピリオド楽器」が多くなったけれど、根本のところの考え方は変化していない。

「第一、わたくしにはヴィヴァルディの音楽の品のなさが耐えられないのである」(126p)。
いやいや、著者の皆川達夫さんはまだお元気なよう(1927年生まれ)ですが、バロック音楽の紹介の本なのに、これである。いいじゃありませんか。ヴィヴァルディにもいい作品はあるけれど、「底抜けに歌いさわぐだけで」「仰々しい」。

それに比べてコレルリの音楽に対しては、「激情の表情とか巨匠技の誇示といったものがいっさい避けられ、」「気品と格調とによって貫かれて」いると絶賛。そおかあ、そうなんだよな。高校生にはわからぬぞ、その良さは。
コレルリが作り出したコンチェルト形式やソナタ形式は、ヨーロッパ全土に大きな影響を与えた。

ときどきダウンロードしていた Naxos の ClassicsOnline がリニューアルして、HD や LL ファイルを扱うサイトになっていた。
そこで見つけたのが、Kimiko Ishizaka の平均律。この寒そうな教会(?)の写真のジャケットが目にとまった。彼女の名前は知らなかった。調べてみると、ドイツ生まれのハーフで、ドイツで活躍しているらしい。

平均律は高校生のころから聞いているけれど、いま家にあるのは Keith Jarrett のピアノ盤だけで、クラシック系の音楽家のものがない。
ダウンロードして聞いてみた。グールドやキース・ジャレットより、タッチがやわらかく、コロコロ転がっていかない。
落ち着いた演奏で、ジャケットのイメージによく合っていた。

2015年4月6日月曜日

最悪の週末だとみんなは言うけれど:lost weekend


ドルトムントがレヴァンドフスキにやられ、リヴァプールがアーセナルにコテコテにされ、名古屋と岐阜は断トツの最下位。
おお、なんという週末。
中継なんか見るもんか。