2011年6月15日水曜日

Bulky waste:ゴミの名前


ゴミに名前なんかいらない。ゴミには匿名性だけが求められるはずなんだけど、そのゴミを、ゴミじゃないときに使っていた人たちは確実にいるわけで、その人たちはそれがゴミとして処分されてしまうことに異議を申し立てたくとも、もうこの世にはいない。

そんなゴミたちの、元の持ち主たちのつぶやきのようなものを聞きながら(ときどき不要品の処分なんてこともしているので)、原発問題を考えていると、原子力の安全性とか、放射能の恐怖とかももちろん大事なことなんだけど、親が死んだら、20年ちょっとで建てかえられてしまう日本の家とか、建てかえるから、家具も、調理用具も、大工道具も、写真も、盾も、何もかも全部ゴミにしてしまう人たちのことを、もっと考えてみる必要もあるのではないかと、ぼくは考えていた。

だけど、もっと考えてみると、いらないものを捨てないでどんどんため込んで、その処分を次の世代に先送りしてきた親たちにも、もちろん責任はあるのである。
目先の都合のよいウソを信じたふりをして、便利さをとことん追求してきた末の原発の存在と、なんと似ていることか。