2014年5月15日木曜日

from wonderland:三重苦のなれの果てにJ・J氏の伝記を読む

1970年代に、ぼくらの文体を決定的に形作ったのは、植草甚一、小林信彦、椎名誠、それに沢木耕太郎だと、坪内祐三という人が書いていた。
津野海太郎さんが書いた「したくないことはしない 植草甚一の青春」という本を見つけて読んだ。
1967年、晶文社から植草甚一のはじめての本「ジャズの前衛と黒人たち」が出る。その時、植草は59歳、編集者だった津野さんは29歳。
植草責任編集の雑誌「ワンダーランド」が出たのが、1973年。

植草さんのスタイルがなんといっても決定的だったのは、あの長たらしいタイトルではないだろうか。
・こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた
・いつも夢中になったり飽きてしまったり
・中間小説誌を破いて一編ずつホチキスでとめる癖がついた

植草青年は1945年の東京大空襲の下でも、毎日のようにがれきの中の古本屋へ出かけ、洋書を買って読んでいる。

それとは別に、この津野さんの文体、というのも非常に特徴がある。漢字がとても少ない。ずいぶん前からそんな文体だったので、いまさらでもないのだろうが、ときどきとても新鮮にうつる。

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風邪と腰痛は何とかクリアできたのだが、今度は奥歯が痛みだして、三重苦生活はまだ終わらない。
以前に書いた「絶倫の人」は最後まで読んだ。面白かったぜ。
津野さんの本のとなりは、柴田編訳の「どこにもない国」。松柏社という出版社は知らなかった。