2016年9月18日日曜日

Bettyboards 問題:part1

G・デッドにおけるベティボードとは何か、というところから話を始めると長くなる。が、省略はできない。
「250時間分ほどあるサウンドボード・マスターテープの宝庫。(中略)サウンドエンジニア、ベティ・キャンター・ジャクソンが録音したもので、1985年に保管料の滞納のため、ロッカーの中身がオークションにかけられるまで倉庫に眠っていた。テープコレクターやそういった小さなグループがテープ類をせり落とし、コピーして、トレーダーに配った。」(「スケルトン・キー」1994より)

Bettyさんの略歴。

60年代の終わりにサンフランシスコで、コンサートの音響を手伝うようになり、その後 Bob Matthews とチームを組んで、デッドのスタジオアルバムやライブアルバムのレコーディングに参加した。デッドの69年の「Aoxomoxoa」から「Europe'72」まで、あるいはガルシアの1stソロアルバム(71年)などに彼女の名前がクレジットされている。70年代後半のガルシアソロアルバム「Cats under the sky」や80年代のデッドのアルバム「Dead set」「Go to heaven」などにもクレジットがある。
「彼女はロックンロールの世界で、最初の女性レコーディング・エンジニア」であると、New Yorkerの"Deadhead / The afterlife"というコラム(2012/11/26)で紹介されている。

Bobさんとは私生活も共にしていたようだが、72年ころからデッドのロードマネージャーだったRex Jacksonと仲良くなり、結婚。ところがRexは76年に事故で死亡。
80年代に入って、デッドのキーボード、ブレント・ミドランドとつきあうようになり、ソロアルバムの製作にも参加したようだが、アルバムは発売されず、その後別れた。メンバーの元カノということで、居場所がだんだんなくなり、バンドから離れた。そのころから、テープを保管している倉庫の賃料が払えなくなり、ついに手放した。というような経緯であるようだ。

まず気になるのが、このテープはバンド公認のオフィシャルなものなのかどうか、である。
2014/3/11 の Relix magazine によれば、録音用の機材とテープは、RexとBettyが自腹で用意した、とBetty本人のコメントがある。そして、特にバンドから依頼があったわけではないが、いけるときにはBettyが一緒に会場入りして、録音していた。
PAミキサーからマルチで分けてもらい、PA音響が届かないような場所(backstage)で、2トラックにミックスしてアナログテープに録音していたようだ。

Rexが亡くなった後、77、78年ころは、バンドのcrewとしてツアーに一緒に行き、ギャラもちゃんともらっていたようだ。ボブ・ウィアのローディをしながら、録音も続けていた。この77/78年のツアーの Bettyboards は特に評判がいいようだ。

さて、1986年(New YorkerもRelixもオークションは86年だったと書いている。スケルトン・キーの記述が違っているのだろう)、ベティはテープと共に家財道具なども失うわけだが、当然その前にデッド・オフィスに窮状を訴えた。だが、オフィスは何もしてくれなかったと、本人は言っている。このあたりの経緯について、事務所側のコメントはまだ見つかっていないので、どういう事情だったのかはよく分からない。

テープは1000本以上、デッド以外にガルシアバンドとか、NRPSとかのライブ音源も含まれいた。
1986年といえば、ガルシアが昏睡状態に陥り、デッドが活動を停止していた時期である。ガルシアが倒れたのは7月で、カムバックショーは12月。
オークションは5月だったようである。

オークションでテープなどをせり落としたのは、主に3つのグループで、その後テープはそれぞれ複雑なルートをたどっているので、簡単には説明が難しい。
難しいが、86年以降、通称 Bettyboards というカセットが、デッドヘッズの間でトレードされるようになったことは間違いない。

(下の写真は70年代前半のBetty。右は Bob Matthews)