伊井直行は昔からよく読んでいたので、何も考えず手に取る。「群像」連載。
彼と彼女が3人称で語られる。「会社」が進める新製品開発にまつわるあれこれ、と書くと何にもないような話だが、読めば面白い。
「マチネの終わりに」は、恋愛小説である。そういう風に銘打った小説をふだんあまり読まないので、じぶんとしてもちょっと意外だが、面白い、と勧める人がいた。
平野啓一郎の本を読むのは初めてで、こっちは毎日新聞連載、とある。
こちらも彼と彼女が主人公。新聞連載のせいか、山場が次々に出てくるし、連載を読んでいる人には、ハラハラドキドキ楽しいんだろうな、と思う。
奥泉光といとうせいこうが「文芸漫談」で、3人称多元小説について話している。
奥泉「語り手が登場人物の誰の視点にも入り込むことができる、ある意味、自由な書き方。でもこれはリアリティを失いやすいというデメリットもある。」
いとう「都合よく見えちゃうんですね。作家がなんでもわかっていて、好きに人物を動かしているように見える。」
(文芸漫談 シーズン4 夏目漱石「門」を読む)
「3人称・人物視点(複数主格)」と「神の視点」とは違うんだな。
語り手は誰か、彼はなぜすべてを知っているのか。
ふと気になって片岡義男の昔の短編を見てみる。
「彼はいま羊飼い」(「いい旅を、と誰もが言った」収録)。男女が主人公のようではあるけれど、彼らの内面はほとんど描かれない。語り手は「神」だろうか。
ムラカミの作品を論じた文章はたくさんあるのに、片岡の小説を論じた文章は、ネットで探してみてもほとんど見当たらない。彼が「カドカワ」の申し子だったから?