2011年2月3日木曜日

Winterland 1974:70年代の先にあったはずの80年代

あるときふとアマゾンのG・デッド系をながめていると、"Grateful dead movie(DVD)" の中古が格安で出ていた。うむ、これは、今しかないとさっそくゲット。
あらためて、1974年のG・デッドだ。"wall of sound" の維持が次第にバンドの財政を苦しめ、バンドはwinterland でのショー(10月16日から20日)を最後に活動停止を宣言していた。

そのwinterland では、このあと76年11月に "Last waltz" があって、78年大みそかに閉鎖だ。そういう流れの中で、このライブは、まだ「はじまりの終わりがはじまる前」だったのかもしれないと思わせる。
(ロビー・ロバートスンの「ラスト・ワルツ」についてのコメントはたしか「はじまりの終わりのはじまり」だっけか? どっかにビデオテープが転がっているはずだが…)

Winterland は、イメージとしては、むかし岐阜市内にあった「岐阜市民センター」に近いのかもしれないと思う。
ローカルな話題で申し訳ないが、市民センターのアリーナは、ローラースケート場になっていて、そのまわりを客席が取り囲むというアリーナ型式の会場だった。たぶん3000人くらいは入れたのではないのではないか(Winterland は5000人くらい)。
キャロルをやめたあとの矢沢永吉がよくコンサートをやっていたし、プロレスの会場としては最適だった。Fleetwood Mac が "Tusk"ツアーで日本に来たとき、ここでコンサートをやって、確かライブ盤にも収録されていたはず(音はひどかったね)。

映画では、その Winterland のアリーナに仮設舞台を組んで、ビティを建て、スピーカーを積み上げていくシーンも入っていた。何十個もの小さなスピーカーをマウントしたボックスはロープと滑車でつり下げていく。うーん、大変そうだ。

客の背の高さくらいある舞台。客席中央上部に君臨する巨大なミラーボール。舞台の袖で火を吹いている花火職人(バンド公認の火吹き男だ)。舞台に上がって勝手に踊っていると思えるヒッピーのオネエサン。そしてときどき見え隠れする小屋主のビル・グレアム。
おもしろい。これが1974年だ。

70年代と80年代は、どこで、どうやってつながっていたのか。
ぼくの知っている70年代は、ぼくの知っている80年代とぜんぜんつながってないように思えるのは、なぜなんだろうとずっと考えていたけれど、答えがどこかに転がっているわけでもなく、たぶんそういう齟齬感を誰かにうまく伝えることもできずに、ずっと胸の奥の方にかかえたまま、日々を生きていくのだろうななどと考えながら、1974年のデッドのショーを見ることは悪いことではない。