時間が少しできたので、鴻上尚史の「ヘルメットをかぶった君に会いたい」の最後を読む。これも小説なんだな。書いている本人の存在だけが現実で、あとは全部フィクションだ。なるほど、そういうやり方もあるわけだ。鴻上の名前は以前から知っていたが芝居を見たことはない。58年生まれだから少し下だけど、まあほとんど同世代とも言える。
ストーリーを語るのはよそう。簡単に言ってしまえば、過激派と呼ばれていたあの人たちは今どうしているんだろう。できることなら、彼らのひとりに会ってみたい、という話だ。
少し頼りない感じはあるけれど、ぼくの嫌いなノスタルジー路線ではないことは確かだ。いまとあのころが、どう違っていて、どういうふうに、あの時代が忘れられていったかというような話でもある、かもしれない。
ひとつの記念日として78年3月26日が出てくる。成田空港管制塔襲撃事件のあった日だ。
そのころぼくは何をしていたんだろうと考える。
ライブもやる喫茶店に入りびたりになり、飲んだり、ケンカしたり、ミニコミ作ったり、そんな日々だった。
高校を出たのが75年の3月で、それから3年たっていた。
大学に入って、大学をやめた。はじめてコンサートを主催して、そのコンサートに出たバンドの事務所で仕事をするようになった。カミサンと出会った。アパートを1軒燃やした。ミニコミを作った。
そのバンドの事務所周辺には、交番に火炎ビンを投げつけた奴や、ガリ切りのやたらうまい奴や、高校生のときに運動に加わっていた奴や、そんなのがごろごろしていた。
過激派も、学生運動もまだ身近な存在だった。
78年2月、武道館へディランを見に行ったとき、東京は街中の至るところにビラが貼られている都市だとあらためて思った。
74年の8月、郡山での野外コンサートの帰りに東京に立ち寄ったときも、線路のガード下や、地下道の中や、歩道橋などあちこちに貼られたビラに驚いていた。三菱重工本社が爆破されたのは、ぼくがその前を歩いてから、20日後のことだった。
「人は、思想ではなく生活として、主流から主流へと移る。それだけのことだ。」--by 鴻上尚史
70年代のいつころからか、そういう時代になったのだ。そのことに気がついていた人は、76年にロックは死んだと言ったのだ。